映像の世紀 第11集JAPAN

 ルミエール兄弟の映画発明から2年後、日本は映像に登場する。極東の小国だと思われていた日本は、世界に人々に衝撃を与える。映像の世紀最終回。第11集は明治から昭和にかけての日本を伝える。
 日本はヨーロッパから船で一ヶ月あまりで到着した。1890年代、新宿ではガス灯が作られ、人力車が走った。200年の鎖国を経て急速な西洋化を見せる日本に外国人は驚いた。それは奇跡と言われた。欧米では日本の関心が増加、日本を題材とした作品が増えた。特に日露戦争の勃発とともに、それは増加していった。外国人は日本人の吸収力に歓声をあげた。日露戦争の勝利は、欧米に衝撃を与えた。イギリスに留学してたネルーは、アジア人が大国を破ったことに感動していた。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は不安を覚えた。アジアのリーダーとして日本が位置することに、統一した勢力となることを恐れた。そして、日本は欧米と肩を並べる列強と成った。日露戦争の勝利によって、韓国の保護国化が行われた。朝鮮総督府伊藤博文ハルビン駅で暗殺される。伊藤の国葬の後、日本は韓国を併合する。そして、第二次世界大戦終結まで支配を続ける。
 日露戦争7年後、大正に時代は移る。国際連盟常任理事国となり、日本の大国化は続いた。ロシアではロシア革命が発生。シベリア派兵を行った。だが、大量の兵力の投入は国際非難を呼んだ。また、関東大震災が発生。東京横浜の大分が廃墟と貸した。戒厳令が発令され、カメラマンは隠し撮りで東京の様子を世界に伝えた。アメリカでは日本人移民が行われた。だが、移民排斥運動が発生。安い賃金で働かれ、国内の労働力が奪われたことに反発したのである。そして、移民は禁止されていった。

 昭和。昭和天皇の即位はラジオで世界に伝えられた。音の記録できるフイルムが誕生、何気ない風俗も記録されていった。国外大連では、日本は積極的投資を行い、大都市を建築した。国運をかけた満州国を樹立した。さらに満州事変を発生させ、中国東北部を制圧した。中国は国際連盟に提訴、リットン調査団が派遣された。3ヶ月にわたる調査の元、日本に主張に反する結果が提示された。日本は満州国を建国、国際連盟を脱退した。そして日中戦争が勃発していった。アメリカでは、日本を批判するプロパガンダが大量に作成され、反日色を強めていった。ついに、日本とアメリカは戦闘に突入する。日中戦争の膠着を打破すべく南下政策にアメリカが猛烈に反発し、経済制裁を発したからである。アメリカ日系人は、隔離された。
 第二次世界大戦の序盤、日本はアメリカの初動体制の遅れを狙って勝利を続ける。日本は圧倒物量の中敗北を続ける。ポツダム宣言を受諾し、日本は無条件降伏を行う。厚木飛行場にマッカーサーが到着。7年の統治が始まった。9月2日戦艦ミズーリ上で降服文章に署名した。そこには92年前ペリーが来日時に掲げた星条旗があった。昭和天皇人間宣言を行い、日本各地を周った。1946年、極東国際軍事裁判が開催。2年後、7人に死刑の判決が下りた。
 その後、朝鮮戦争が発生。警察予備隊が設置。日本をアジアでの資本主義の中心として象徴づけたかったのである。吉田茂は資本主義国との講和を実施。全面講和論と衝突した。ソ連など3カ国以外と講和を締結。さらに、日米安保条約を締結した。日本国内では血のメーデーが発生。革新派と政府の対立は幾度となく続いた。テレビ放送が始まり、日本の姿は世界に伝えられる時代が戻った。
 激動の昭和。日本は新しい時代に向かっていた。

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