松山訪問計画(1日目・移動日)第4部 驚愕!松山鎮守府

 コンビニに寄った後、宿泊先である松山鎮守府に向かう。と言っても、非常に近い。松山鎮守府はビルの5階という立地。エレベーターが無いので、、疲労の中運動する羽目になった。これをあと3日続けた。
 だが、それ以上のものが待ち受けていた。松山鎮守府に到着。玄関に新聞が目測半年分蓄積された。さらに右端には、でかいダンボールがあり、入場を阻害していた。靴を脱ぎ、一歩進む。空き缶が蓄積されていて、通りにくい。さらに一歩すすむ、45L級のゴミ袋が2個も満載で放置してあった。体を左に回し、居間へ。居間に入る手前には、ありえないほどダンボールが蓄積されていた。解体してあったので、未だ増しだった。目測で20個のダンボールを復元できる量であった。やっとのことで居間に侵入。この状況を的確に表現できるすばらしい言葉。「足の踏み場が無い。」このとき、照明がまだ、20A程度の暗い卓上灯だったので、全体の理解は出来なかったが足元に感覚と雰囲気で理解できた。ベッドの上のみが安住の地であった。部屋右によっているコタツ机の上は凄惨を極めていた。
 片づけを命令する気力も疲れで消失していた。先に到着していた荷物を受け取り、着替える。疲れの限界を感じていたが、テロの情報収集を開始。サーバーへのアクセスや実用試験を実施した。その後、正規の室内照明を始動。全体を把握する。やはりコタツ机上が悲惨であるが、室内左の様相も鮮烈であった。45L級のゴミ袋がさらに満載で控えていたのである。45L級ゴミ袋を1個満載にするのには、個人的に1ヶ月は必要である。それが、計3個も存在するのは異常事態としか言い様が無かった。

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