スキーへ

 
 12月下旬に誘われた高校時代の友人を中心としたスキー・スノーボードに参加した。2006年の冬は、05年と比べて暖冬である。金沢で12月を過ごしても暖かく感じ、実際最低1回は降る大規模な降雪が観測されなかった。(尚、韓国は豪雪だった)当初から滑走可能かが疑問であった。前日も雨が降り、只でさえ積雪が少ない中、融解すると感じていた。
 1時間かけてゲレンデに入った。筆者は昨年から初めたファンスキーを車に乗せてもらい向かった。ゲレンデへ向かう道中の積雪量からゲレンデの積雪が危険な水準であることが車内の話題となっていた。実際到着してみて、一部土が露呈したゲレンデを見ると、より一層滑走可能性が騒がれた。
 到着した以上、滑走することは決定しており、各々が準備を実施した。

 
 リフトに乗り、ゲレンデ全体が見渡せる場所へ移動し、状況把握を行った。その結果、滑走は可能ながら、可能であるという範囲であり、滑走を楽しめるという範囲には入らなかった。目視で明らかに雪の堆積層の度合いが判断でき、地形により土が露呈した場所、雪が無きに等しい場所などが出来上がっていた。
 現実を直視して、褐藻を開始した。約1年ぶりの滑走である。このような長期間休眠期間を置くものは、ある程度思い出す時間が必要である。この場合、重心の使い方である。足への重力の掛け方など悪状況の中取り戻しながら、滑走した。
 毎回問題となるが、今回は先導する人間がいなかったので、個々人が適当に滑り過ぎ合流困難になる事態が幾度となく発生した。数回滑走するうちにこの問題は、重視され解決された。

 
 リフト登場約15回(?)、実質滑走時間4時間で帰宅となった。予定より2時間早い岐路となった理由は、悪環境である。ゲレンデの積雪がこの水準まで低下した状態を体験したのは今回が初めてであり、良い経験となった。今後、このような失敗を重ねないと思えるほど、鮮明に記憶に残った。だが、それを除く他の部分は参加して良かったと思える部分である。今回集まったメンバーは、1人を除いてなかなか接点が無く、よい機械であった。

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