18時から19時までに放映されている番組の件

 地球(テラ)へ
 劇場版は4,5回視聴しているが、地上波版は、本日放映された話しか視聴したことが無い。時間が一致し、尚かつ放映があることを思い出したので、視聴した。
 宇宙船などのデザインが、劇場版と比べ、現実的なことは、宇宙に対して興味がある人間としては、参考になる。
 個人的に気になったのは、キース・アニアンが一人称を「僕」と言っていたことである。劇場版では、一度も使ったことが無い表現だと思う。キース・アニアンは、一人称を「キース・アニアン+階級(例;キース・アニアン中尉である。)」か、「私」を使うべきである。


 電脳コイル
 司令長官は絶賛しているが、個人的には、そこまで面白い無いようだとは思わなかった。これも本日放映された3話しか視聴していないが、3話だけをみて感じたこと書く。
 電脳世界(仮想世界)と現実世界との混合水準の設定が不明。3話の物語中に仮想世界の保安システムや、「イリーガル」という存在が居たが、仮想世界は「メガネ」を通してしか感じることしか出来ず、メガネを外せば、それらは見えないし、脅威でもない。
 現実空間に「メガネ」を通して、仮想世界を上書きする世界であるのなら、これらの存在が、第3話で描くような脅威とは思えない。さらに、空間が壊れるという描写があったが、仮想世界の空間なのか、それなら、それはメガネが見せる幻である。何をおそれる必要があるのだろうか。
 攻殻の世界では、「メガネ」という外せば終わる幻ではなく、電脳という生身と機械が融合した形態である。この場合、仮想空間の影響が、現実の生身に伝わるだろう。「メガネ」の世界はメガネをつけないと見えず、外せば終わる程度の仮想世界である。
 実はあの世界は、映画マトリックスのように、肉体を捨て、仮想世界がすべてであるというおぞましい結末が用意されているのであれば、この設定は理解できるところがある。
 物語的な部分で1つだけ指摘すると、会話が少なすぎる。ある会話のほとんどが、感情表現であり、物語の意図が伝わりにくい。もう少し、会話を続けられないのか。

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