第3次松山訪問計画 概要

 第3次松山訪問計画は、大帝国の年間国務行為の1つである松山訪問を行う計画である。立案回数としては、3年目で3回目であることから、第3次松山訪問計画となった。第3次松山訪問計画は、当初連邦政府首脳が松山に訪問期間中に居ないという状態で立案され、後日連邦政府の参加が可能であると分かる発動3日前まで、丹後条約により関係を構築したKEIとの行動が主であった。参加が分かった後は、予定を一部変更し、連邦政府との会談を設定して頂いた。
 第3次松山訪問計画は、大帝国として松山を訪問する最後の機会として考えられ立案された。四国愛媛方面にて視察すべき残された地点は殆どなく、更に来年は大帝国としても、鎮守府司令長官が異動することをが予定されており、受け入れ先としての組織が松山以外を拠点とすることが確定的となっているのである。
 第3次松山訪問計画は、観光が基底にあるが、大帝国の外交活動であり、関係国家と組織と会談を行った。まず、日程的に先に会談を行ったKEIとは、丹後条約により構築した関係における成果と問題点を確認する「しまなみ宣言」を共同発表する。連邦とは、2004年に締結された松山条約を改正し、改正松山条約の締結について、議論し大枠合意となった。(締結は時間的都合から近日中に行われる。)また、最後の機会として立案され、今後数年間は松山訪問を行わない予定であったが、連邦総理との会談により、11月にも訪問をすることになり、第4次松山訪問計画が提唱された。
 総予算5万円にて松山訪問計画は承認され、2007年7月6日から2007年7月9日の期間に実施された。

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