長野視察計画 長野市移動

 移動開始
 朝6時の越後湯沢行きに乗車すべく、本日は0時より計画発動の待機を行った。4時までに諸準備を終え、5時に金沢宮殿を発った。早朝のため、交通量が少なく、金沢駅到着には予想時間を20分早く到着することになった。コンビニ等で適時時間を消費し、6時発の特急に乗り込んだ。

 直江津下車
 直江津までの乗車で、1時間30分ほどである。乗車中は風景を楽しむことにし、寝ることはなかった。直江津では、信越本線長野行きということで、ある程度下車を想定していたが、筆者1名だった。やはり、越後湯沢乗り換え東京行きの需要はそれだけ多いということである。確かにこれだけ乗車があるのなら、北陸新幹線を作っても良いと思える。
 信越本線は乗車を待っていたが、定刻になってもこない。列車が遅れたのだが、そのとき何故列車が遅れたか分らなかった。後に分るのだが、地震の影響である区間を徐行運転している影響だった。15分待ちが、40分待ちになりやっと列車が到着し乗り換えることが出来た。ここでも特に睡眠をとることはなかったが、列車の遅さに苛立ちを覚えた。特に徐行運転を行うという情報が無かったため、この遅さはあまりに酷いと感じていた。車内アナウンスも何故列車が遅れたかを知らせず、より不信感は高まった。妙高高原を越えた後は、列車の規格として通常の速度に戻った。それでも国鉄時代の鋼鉄列車への不満はいつも通りであった。

 寝坊の知らせ
 妙高高原を超えたあたりで、マ氏から本日初めて連絡が入る。2,3回到着時間を連絡したが、応答がなかったので飛行機での移動かと思っていたが、思いもよらず寝坊とのことだった。ETAが1時間遅れるようであった。元々合流時間には2時間程度時間があり、駅周辺を視察して時間をつぶす予定であったが、今回の徐行運転による遅れ、マ氏の到着合流時間の遅れにより、結果的に暇な時間は減少した。確かにマ氏が寝坊せず、予定通り到着していれば、更に短縮されていたことは当然ではある。その場合、こちらの長野駅到着時間が不安定だったので、こちらが迷惑をかけた可能性が高い。結果的に最悪にはならなかった。また、筆者が寝坊して居た場合、長野到着は最低5時間は遅れただろう。

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