エヴァンゲリオン新劇場版:序 感想記録2

 概要
 解釈サイトの訪問等により、新しい知識を得たので、それを確認するために本日2度目の鑑賞を行った。

 TV版と新劇場版について、総合的に
 新劇場版を初めてみた前回は、TV版の細かい復習をする時間が無かっため、多くの点で間違いがあった。確かにTV版のビルが上下するシーンをはじめとする動きのあるシーンは新劇場版は圧倒的優位である。CGの無駄な動きが気になるところであるが、新劇場版の動きのシーンは、より細かくヱヴァンゲリオンの世界が伝わってくるように感じる。だが、音楽についてはTV版に全体的に優位な点がある。特に第5使徒戦闘時のオペラ風の音楽は動きと合っていない。さらに、以前も指摘し、コメントによってABパートの分け方やすぐあとで同じ音楽が使われることから使用が控えられたジオフロントをシンジが初めてみるシーンはあの音楽がほしかった。あまりに寂しすぎる。
 また、「文字」の使用が見送られたことも再び指摘しなければならないだろう。コメントによると、プロデューサーの発言から使用することを控えたそうだが、広報用ポスターなどでは、エヴァ的な文字に使用が行われており、さらにいえばエヴァ的な文字の使用を排除すれば、それはエヴァではないのではないだろうか。やはり、次作での復活を強く望みたい。それは、次作こそTV版の展開と異なる作品となるからと予想するからである。新劇場版は確かにきれいになり、動きは良くなっているが、ヤシマ作戦発動以後以外はそれほどビジュアル的にみるところはない。
 それ以外でみるべきところは、碇・冬月の会話、ゼーレ・碇の会話、キール議長・タブリスの会話の3カ所だけである。劇場公開中に限定すれば、2回目以上視聴する人は、予告編15秒が本編であり、本編はおまけに過ぎないかもしれない。
 
 TV版と新劇場版の差異について、仙台消滅
 ヤシマ作戦発動後、日本中の電力が第3新東京市に集中送電される際に、日本全土の描写が行われるが、現在の東京にあたる位置には明々と電気が消費されている風景があった。代わりに、仙台地区(推定)に大きな穴が開いていた。そもそも、TV版における東京消滅の理由が詳細に語られたことが無かったので、新劇場版での仙台地区(推定)に何があったかは現段階では不明である。
 TV版の設定から仮定すると、新型爆弾(N2爆弾)が投下されたと考えるのが妥当である。TV版も東京周辺が明るいが、人工的な円が見え爆心地円周に沿っていることがわかる。新劇場版に関しては、筆者の目でははっきりと人工的な円周は見えなかった。個人的に今後留意すべき点と考えている。

 CG全般について
 多くのコンソール画面、さらにはエヴァ本体もCG化された本作である。この点がTV版よりより美しい画像を生み出していることを忘れてはいけないが、2,3の蛇足が非常に気になった。具体的には、神経素子接続モニターの紫色のCG、CG的なアングル移動を用いたシーンである。唯一、コンソール画面でTV版を超えたと思えるCGはヤシマ作戦発動後の電源系統図である。この白とオレンジを基調としたCGは非常に美しい。この色調のCGはAvalonで多用され、イノセンスでもみられる。TV版ではただ赤と白の配線図だけであっただけに、この改善は新劇場版における評価の中で、もっとも評価できる点である。
 プラグ深度といったエントリープラグに関するCGがいくつか新しく追加されているが、これも気になるものがあった。だが、より直感的にプラグ深度が理解できるようになったことは、評価したい。

 ヤシマ作戦
 本作の最大の見所はどこかという質問が行われた場合、過半数ヤシマ作戦と答え、筆者は碇と冬月の会話であると答える。本作の後半を盛り上げるヤシマ作戦について批評したい。第一にTV版のヤシマ作戦は、その発動まで、すなわち使徒分析、作戦立案、作戦準備はエヴァ随一のテンポの良い名シーンである。新劇場版では、時間の都合と判断するが、使徒分析のために、1/1ダミーバルーン、独12式自走臼砲の活躍は無かった。ヤシマ作戦で使われた使徒専用迎撃装備と比べればそのまま使った場合目劣りするが、改良を加えて追加してほしかった。さらに、それと連動して行われる作戦立案過程は絶妙なシンクロが図られ、まさに心をかさねた時である。
 碇・冬月に作戦許可をもらうシーンがないのは、冬月信者として容認できない。あのシーンでは、エヴァの世界の数字に対する理解ができる。本編ではMAGIの10%にも満たない勝率計算が披露され、ネルフ側の劣勢がおもしろいものになる。新劇場版では、ネルフ本部ごとN2爆弾で消滅させる案を披露し、エヴァの広い世界観が理解できるが・・・。
やはり筆者としては、冬月の

目標のレンジ外、超長距離からの直接射撃かね?」

 を聞きたい。
 さて、作戦準備については、新劇場版を認めよう。また、TV版と同じく陽電子を大気中に打ち出すというサードインパクトも変更がないが、アニメである故非科学読本と同じ考え方はやめよう。作戦後気になるのは、ラミエルの七変化である。エヴァの世界には、日常と非日常がある。日常は煩雑であり、非日常は数学的な美しさがある。ラミエル七変化は数学的美しさが無いとは言わないが、安定性に欠ける。ラミエル重厚長大な雰囲気が新劇場版ではなく、軽く見える。ラミエルが全く動かないのであれば、映像的に長く持たないと思うが、もう少し数学的な美しさ、幾何学的な美しさがあってもよかった。だが、よく頑張ったとは思う。さらに、ラミエル七変化は、使徒の失敗体験から改善されたものであるとも仮定できるが、そこまで考えるとその他の2つの使徒がそれほど強化されておらず、強い主張とはならない。
 
 セントラルドグマとターミナルドグマ
 上記の言葉は、TV版では用語だけ使われることは序盤からあったが、その意味がいったい何を意味するものであるのかということは、終盤まで語られることはなかった。新劇場版では、ヤシマ作戦参加を渋るシンジをセントラルドグマに連れて行くシーンがあり、早いうちからセントラルドグマが何を意味するものかが鑑賞者に伝えられれている。そして、リリスと呼ばれるリリンの母が、ロンギヌスの槍に刺されているシーンと対面することになる。ところが、ターミナルドグマは一切触れられることが無かった。
 筆者は、セントラルドグマに安置されている物体は軽々しく扱われるものではないと考えている。すなわち、葛城2佐が関与できるレベルの機密ではないということである。葛城は新劇場版における風呂のシーンで、マルドゥック機関やシンジの接収などに疑問を発言しており、やはりTV版と同様に碇・冬月・赤城の3者よりも情報を知らないと仮定できる。その葛城がセントラルドグマに入室できること自体がTV版からの視点から見れば驚きであるのだが、セントラルドグマ、安置されている物体(葛城の言うリリス)がそれほど重要でない場合これは別になる。
 ここで、ターミナルドグマが複線として効いてくる。但し、次作にてターミナルドグマという言葉が使われなかった場合、すなわち新劇場版ではターミナルドグマという用語は無視されている場合、この仮定は無意味になる。碇・冬月・赤城にとって真に隠すべきものは、このターミナルドグマにあると感じる。

 リリスとリリン、アダムとエヴァ(使徒)、人類補完計画からみる世界の考察
 エヴァの世界は、リリスとアダムと呼ばれる生命の源が存在し、リリスから生まれた生命はリリン(人類)と呼ばれ、アダムから生まれた生命が使徒であり、使徒のコピーたるエヴァである。先ほどの批評と関係するが、TV版で碇・冬月が求めていたのは、アダムである。碇はそれを手に移植し、育てた。旧劇場版で、それとリリスを融合させようとし、碇はユイの元へいけることを願った。旧劇場版では、それは叶わず、アダムとリリスの融合体は、初号機と槍を融合し、ゼーレの目指す人類補完計画の進行を進めた。人類補完計画とは、旧劇場版で葛城が語っている内容を信じれば、

「群衆としての不完全な人類を単体で完全なものに人工進化させるもの」(旧劇場版)

である。
 碇・冬月は、TV版では槍を捨てるなどの行為を行い人類補完計画の妨害を図っている。その発言からもゼーレの人類補完計画へは非協力的なことがわかる。碇・冬月が達成したかったことは、碇ユイの言葉で語られるが、

「人類の生きた証を作る」(旧劇場版)

 ことである。この際、ユイは宇宙を一人で旅することは辛いが、人類の証のためにはそれに耐えるように発言している。碇・冬月の達成したかったことは、碇夫妻が人類の証として宇宙に漂うことであり、冬月はそれを助けたかったと思う。故に、冬月は旧劇場版にてユイ君によろしくなと言うのである。少なくとも、碇ゲンドウとユイが再び物質的精神的どちらであっても、再び意思疎通ができる段階になることを知っていたと思われる。碇ゲンドウは結局群衆から単体への人工進化に巻き込まれ、LCLになる。冬月もユイとの再会を喜びながら、進化する。
 これが、筆者の思う旧劇場版の見解であるのだが、新劇場版では月にアダムとタブリスがおり、地上にリリスとリリンがいる。使徒はいったいどこから現れるのかは、TV版における疑問であったが、使徒は月から来ると考える。タブリスの前にあった棺が3つ開封済みになっており、すでに倒された使徒はそこから生まれたと思われる。新劇場版は大分整理された内容となっている。TV版で視聴者、制作者、そして渚カヲルをだましたアダムとリリスの混用は無くなっていると考えて良い。そう考えると、セントラルドグマにあるそれは、リリスであると仮定できる。コメントであったそれほど深い意味はないという意見は確かに正しいかもしれない。そうなると、葛城は碇・冬月の真の計画や人類補完計画については、知らないと考えられる。
 しかし、少なくともリリスと使徒が接触することでサードインパクトが起こるという葛城に説明は不安である。これは、TV版でもエヴァの接触でもサードインパクトが起こるおそれがあり、それを咎める発言を黙殺したこと、また、セカンドインパクトはアダムを卵に還元させるときに発生したエネルギーによるものによって引き起こされたものであると加持の資料を見た葛城から旧劇場版において説明されており、リリスと使徒の接触を断ち、サードインパクトの発生を未然に防ぐことがネルフの目的であることはTV版と同様にネルフ下級職員に対する欺瞞と思われる。
 では、なぜ使徒がリリスを目指すのか。旧劇場版では、リリス・アダム・エヴァ・槍の融合体が人類の人工進化、人類補完計画を行った。使徒がエヴァの代わりに入ることで、使徒の世界を作り出すためではないだろうか。タブリスも人類と使徒は共存できず、1つの生命体しかこの世で生きることができないと述べている。リリスを目指す目的は、使徒が生命体として人類並みに反映したいという自己保存の理論からではないだろうか。こう考えると、使徒のリリスとの接触を碇・冬月が嫌う理由(タブリスのターミナルドグマ進入阻止命令、近すぎるという発言など)も分かり、リリスセントラルドグマに安置する理由が理解できる。
  
 エンディングテーマについて
 基本的に最近司令長官が虜となっている音楽ジャンルは聴かないのだが、映画やアニメで使用された司令長官が虜となっている音楽ジャンルは、なぜか聴いてしまう。これは、映画やアニメの環境が、司令長官が虜となっている音楽ジャンルに同期する傾向があるからだと筆者は思う。本作のエンディングテーマも1回目の鑑賞時は特に気にならなかったのだが、新劇場版への真剣な考察が始まった2回目以降、そして3回目に至ったときは完全に聴いていた。この現象の解明は、ほかの脳構造学者などに委ね、以上とする。


 予告について
 すでに述べたが、一部に人にとって、予告は本編以上の関心がある。筆者の予想では、次作で使われるTV版の話は、「命の選択を」と「死に至る病、そして」の2本であろう。エヴァ中盤はアスカ来日と同時に雰囲気が明るくなり、また優れた作品が多い。上記以外に「静止した闇の中で」は唯一冬月のギャグが聴ける話であり、極めて重要である。
 予告では、アスカはエヴァ空輸機からの発進を行っている。この後、海上戦闘という流れも理解できないこともないが、空輸と海輸では速度が違いすぎる。空輸に併せて、護衛艦隊を随伴するのは不可能である。となると、空から使徒と戦う話、「瞬間、心、重ねて」からスタートするのかとも思うが、情報が少なく判断不能である。
 タブリスたるカヲルも次作から月からの参加が語られるが、カヲルの乗るエヴァは、アダムから作られたオリジナルのエヴァであろう。ほかに登場するエヴァは、使徒と呼称されるエヴァをのぞいて、どのような待遇や展開が行われるかは全くわからない。
 新しい女性パイロットは個人的には委員長ではないかと思うのだが、(トウジが漫画版のように死んで、墓の前にいるのではないか)断定できるほどの自信はなく、空想の域を超えない。

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