2013年を回顧する

冒頭
 2013年は特別な年である。有史*1以来年越しは京都宮殿*2で行うものと絶対的な決定があった。だが、本年の年越しは大阪離宮*3で迎える。これは1月1日の外務発動の措置である。12月31日を京都宮殿で過ごした場合1月1日の外務発動に間に合わないためである。それだけなのであるが、過去20年あまりの歴史を変えた日である。
 さて、そのような特異性から回顧録を記述する時間を京都宮殿〜大阪離宮移動時間に使用しており、本稿の執筆は年を越える見込みである。
 そのなかで、2012年と同じく3ヶ月区切りで2013年を振り返り、2014年への躍進へとしたい。



2013年1月〜3月期
 2012年も同様であったと思うが、2013年に何があったかをもはや記憶していないことが大半である。当建国記録記や写真フォルダをみてこの1年を振り替えてっている。
 1月においては珍しく新年早々に外務を発動しており、出雲大社を初めて視察している。その際三江線山陰本線の一部に乗車し最長普通列車乗車時間を更新したと考えている。出雲大社は今年式年遷宮が実施される年であり、かねてより視察をしたいという思いがあり、視察に挑んだ。参拝者は予想以上に少なく快適な参拝であった。ただ、広島合流時に厳島神社にて初詣を行う計画であったが、17時閉鎖により断念した事故が1件発生している。
 さらに翌週には一時中断していたスキー計画が順調に年度計画になり、2年連続の実施となった。スキー、木塵*4など楽しい記憶が多いが、スキー滑走時の撮影用(壊れてもいい)に遣っていたEOS kiss X2をスキー滑走の最後の最後で体力切れしレンズマウントを破壊してしまったのが悔やまれる。痛スキー計画も板の調達は出来たが2012年12月が多忙を極めたため、実施出来ず終えた。スキー帰路が大雪で帰宅不能かという事態になったが、信濃大町糸魚川間を代行バスが走ったおかけで無事糸魚川に抜け、帰着できた。
 1月第3週目には大規模計画であるうどん2012計画を実施した。暖かいうどんを食べた。これも色々あったのだが、もはや楽しかったとしか思い出せない。
 
 2月に入るとこれも例年行事として固定化しつつあるカメライベントCP+へ参加した。UPFG写真部である光画部と最新機材について触れることが出来た。その後、驚くのがアニメガールズ&パンツァーの舞台訪訪の一環として大洗を視察してる。ガルパン作品が2013年の年の瀬には遙か過去2012年作品に思えることに驚きを感じている。まさか、大洗に初めて行ったのが2013年だったとは、自分でも驚愕である。
 翌週はWF2013[Winter]であったが、北海道へ向かっている。筆者の年間計画の基本では、北海道視察は年2回行うこと。となっており、GW以後訪問していなかった事態を憂慮し過去5年間行われ今回で10回目となった北海道視察を実施した。冬季に北海道を訪れることはある意味夢であったが、飛行機が新千歳空港が雪害に伴い閉鎖され、羽田空港に着陸し、冬季の意味をしった。大学時代も金沢〜京都間のサンダーバード号の遅延には悩まされており、全く同じであった。羽田空港に降り立ったことで、振り替え便まで8時間程度の余裕があり、初めて東京スカイツリーを視察し、浅草の雷門を見た。この際、東京在住の関係者が短時間であったが観光案内してくれたのが、羽田引き返しという心の折れた筆者の心をいやしてくれた。
 8時間後に降り立った北海道では、これも初となる小樽視察を行い美しい煉瓦倉庫を見た。併せてスキーを実施し、北海道現地民のスキーのうまさを痛感する。年に1回長野で滑っていた筆者と北海道では全くレベルが違った。長野ですらゲレンデで休んでいる人が多いのであるが、北海道は皆無である。だれもゲレンデに座っていない!!常に滑っている。筆者は中級者であるとは自負しているが、連続4kmを滑走できる上級者ではない。ここにスキーレベルの本州と北海道の差を感じた。飛行機が遅延していなかった場合スキーは2日間滑走する予定であったが、1日で全くもって十分であった。
 冬季視察の目的はスキーをすることでもあったが、大本命は札幌雪祭りの視察であった。現地民曰くただの祭りだそうだが、本州民からはそれは羨望の祭りである。最近はやっている照明による演出(3Dマッピング)も取り入れられており、確かに雪の塊があるだけなのだが芸術性は高く楽しめた。

 2月第2週〜3月最終週までは過労に極めた。年度末決算の関係もあり、多忙を極めた。2013年3月20日の本建国記録を引用し、表現したい。

2013年2月20日〜3月20日までの一ヶ月とは
 この1ヶ月は、地獄であった。
 その地獄は、労働による自由時間の消滅であった。特に、2月24日〜3月9日まで自ら選んだことであっても、休みなしで働きつづけたのは、
ここ昨年の比には成らない過労であった。休みなしでありながら、終電帰宅が続き、起床、出勤、退勤、就寝以外のなにものも存在しなかった1ヶ月であった。*5

 3月期の特筆すべき事項として、永遠作品である「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's』Blu-ray&DVD 2013年3月22日(金) Blu-ray&DVDリリース」である。2012年の歴史を決定づけた作品であり、その劇場鑑賞回数は32回に及ぶ。感動大作を再び鑑賞できるソフトウェアパッケージの発売である。思い返せばこのときが20代後半で最も楽しい時間の一つ出会ったと思う。(他にも御柱祭を追った諏訪の1年がある)再び出会えた感動は百万の涙とともにあった。
 3月29日には大洗に行っている。ここで驚くのが2月に訪問したあと街なかかくれんぼを実施するほど急速に街に浸透していることだ。そのそもガルパンが2013年であることを信じられない本日*6である。このスピードには驚きを隠せない。



2013年4月〜6月期(2014.1.1 1:30JST追記)
 例年4月の外務発動は3月の反動で多い。そして、今年は3月頃から暖冬、暖冬、暖冬だと言われ、毎年の目標である「さくら」風景の撮影に苦慮した。毎年同じところに行っていることから、新天地を目指して外務発動を実施した。併せてこの日しかやっていないイベントを狙い撃っての外務も立案した。会社の後輩を旅行グループへ参入させることで、旧来のグループでは予定が合わなくなった外務視察計画を発動していく。
 この結果、2年連続となる「西岸」駅の視察以外は概ね新規地点となった。それぞれ天候不順や気候変化により桜が散ってしまったという反省点があるものの、大垣・松阪・神岡や吉野に行けた。これらは訪問時間も短かったので再訪したい。
 長期休暇であるGWには11年ぶりとなる「沖縄」視察を実施する。沖縄は高校生の修学旅行以来であり、その際持ち込んだカメラは200万画素にも満たないカメラで記録は少ない。現時点で最高性能を誇る1DXで記録したいという思いがあった。また、大学時代のメンバーで久しぶりに集まって旅行するという目的も達成したかったので、共通の趣味となったカメラを舞台としたツアーを計画した。「沖縄」視察は次年以降の離島諸島視察の橋頭堡となっており、4日間のツアーで沖縄本島の理解は出来た。
 GWの後半は「例年通り」北海道を視察した。3月の情報では暖冬のためさくらが咲いているかもしれないということだったが、実際行ってみると20年ぶりの寒波到来により降雪が見られた。初夏の沖縄から、実質真冬の北海道のツアーは若干堪えた。
 GW翌週には1月に訪問した出雲を再訪する。この日式年遷宮が行われたからである。大阪から車で強行軍をしたが、さすがに出雲は遠かった。仮眠を挟んで、交代付きであったが、朝5時に到着しその神事の一部を視察できたが、やはり内部は上級幹部のみの見学であった。早々に諦め世界遺産石見銀山」へ足を向ける。かねてから*7行きたかったポイントであったが、事前調整をせずに行ったがこれが大あたりであった。2013年の外務視察計画の5本の指に入る充実度であった。同時に宍道湖の夕日を撮影することも成功しかなりの満足度であった。
 6月1日。異動となった。現場部門から間接部門への異動であった。間接業務も経験があり、仕事への不安は無かったが規模が大きく戸惑いがあった。現場の仕事もあと少しで完成というところであり、これも残念であった。10月異動でもよかった。ただその場合は多くの問題を現場に残しておりかなり多忙な状態になったのは確実である。異動により忙しさから逃れることが出来たが、実に短期的な状況であり、10月以降急速に悪化する。
 さて、6月には100km自転車レースがおこなれた。筆者も参加予定であったが、参加金支払いが当日と勘違いし、欠席となった。マ氏ぷろさんの2名が参加してくれ、京都宮殿付近を視察してもらった。いつもお世話になってばかりだったので、最高のおもてなしをしたかったが、時間的制限もあり難しいところがあった。レース後大阪まで運転したが最高度に眠く、音楽が無ければ継続できなかった。京都縦貫道を舞鶴自動車道の迂回道として本格的に運用しだしたのもこのころである。大山崎JCTが接続され京都市内を走らなくて良いのは最高にうれしい。残る和知〜下山?間開通を早期に望む。開通したところで車線の数や京都宮殿までの直線距離がそのそも長いことから時間短縮は微妙であるが、観光の際や舞鶴自動車道宝塚付近の渋滞時などソリューションに応じて、右回り左回りといったルーティングが選択できるのは好ましい。
 6月10日には光画部第2回撮影ツアーとして鎌倉撮影会を実施した。この際上野時代から東京滞在の拠点としていたddk50氏が引っ越し、新居への挨拶を兼ねた高雄山ツアーも行った。この時期はあじさい撮影をメインにし、初めて訪れた鎌倉で十分に目的を達成することが出来た。このとき、北海道視察計画で出会った電気食堂で50mm主義を試すためddk氏から借りたCanon EF50mm F1.2L に関心を持ち、調達を決意する。

(2014.1.1 2:30JST追記)
 6月はさらに外務視察計画を発動し、広島に異動になった後輩を訪ねて広島を視察している。この頃まだ艦隊コレクション(艦これ)のブームメントは起こっていなかったが、単純に広島で行ける場所で前から行きたかった第一術科学校を見学した。
 月末にはこれも会社の先輩つながりで宮崎を視察した。天候が荒れていたが、霧島神宮視察は数年来の悲願であり、これの達成は大きい。指宿の流しそうめん、砂風呂を満喫して、直通新幹線にて帰路についたがさすがに鹿児島中央〜新大阪を全行程新幹線というのは辛かった。行きは神戸空港からのスカイマーク便であり、帰りも空路が快適であったと断言できる。*8
 この旅行には最後の大三元Canon EF24-70mm F2.8L IIを運用した。2010年から発動した大三元調達計画が完遂した時であった。この24-70の完成度は高く、ISがついていないのが唯一の欠点としか表現出来ない。撮影域が当然標準レンズだけあって非常に使いやすく、その後のレンズ運用において24-70のみで撮影するというパターンが増加する。なぜ最も早く必要なレンズを最も遅く買ったかについては、かねてからのべているように2型の発売が最も遅かったからである。その後大三元すべてを持ち出す外務は大三元の総質量から断念しつつあり、悪い傾向である。
 ここで、一つの格言を引用する。

2013-06-06
■人生の愉しみ方
「あれも欲しい、これも欲しい」と思うわけだが、実際に手に入れてしまった瞬間から、それは色あせ始めて、数日後には、自分でもびっくりするぐらいにどうでもいいものに成り果ててしまう。

結局のところ「これを手に入れてあれこれしたいなぁ〜」と創造(妄想)している時が一番面白くかつ楽しい時期なのだということに最近気づいた。*9

2013年7月〜9月期(2014.1.1 2:30JST追記)
 7月。夏が始まった!
 7月第一週。大規模企画フネライブを発動する。仙台*10から名古屋までフェリーに乗る計画である。仙台は震災後1度だけ行ったことがあるだけで非常に経験値が少ない街である。東北地域全体が経験値の少ない地域であり、ここ5年の課題となっているが、寝台特急日本海の廃止により青森到達が困難になったことからさらに困難性を増していると思い込んでいた。今回飛行機で仙台入りしたが、十分使える。寧ろなぜ飛行機を今まで使わなかったのかそれが理解出来ない。2013年は初頭より飛行機を重視しており、この仙台到達を持って飛行機優先の姿勢は確固たるものになる。
 そして、仙台に前泊することで遂に彼の地へと降り立つことが出来た。そう、「遠野」である。「遠野」。柳田国男が「遠野物語」で記したその地は自然と伝承の町であった。あいにくの降雨であったが、自然を写すには雨のほうが良く、カッパ淵、 五百羅漢、デンデラ野、卯子酉様、オシラサマを視察できたのは最高であった。この満足度は5月の石見銀山を超えるもので、2013年満足度のトップに位置すると言って良い。
 帰路に被災地の戻らぬ姿を目の当たりにしつつ、次の日にフネ乗った。フネはこれもうどんのように楽しかったとしか記載しようが無い。ただ、予想以上に楽しかったというのが本音である。ただ乗っているだけだったが、そこには工夫できる余地があった。ただ乗っているだけだったが、美味しい料理があった。ただ乗っているかでだったが、素晴らしい被写体がいた。苫小牧から乗ればもっと楽しめたと思うが、遠野の感動も捨てがたい。2014年の計画は未確定なものが多数あるが、青森や白神山地といったキーワードは注意して発動できるようにしたい。少なくとも1回は東北に行くようにしなければならない。
 3連休。この日から夏が始まる。伊勢神宮奉納花火大会から浜坂花火大会をハシゴし、一気に夏の風物詩たる花火をコンプリートし、浜坂では海水浴を楽しく。まさに夏だ。そして、三連休最終日はななちゃんのLIVEという完璧なセッティングだが、夏は終わった。3連休最終日公用車(2代目)のタイヤがパンクし、LIVEにはたどり着かなかったのだ。
 夏は終わった。


 7月最終週は、WFに参加した。千葉県鴨川、水戸経由という経路を経たツアーでさすがに無茶があったかなと感じた。夏は終わっていたので、水戸花火大会も雨に打たれた。その後、福知山花火大会、都内の花火大会などあらゆる花火イベントではケチがついた。夏は終わっていたのだ。
 8月は夏休み漫画祭りの参加を1年ぶりに行った。みんなとわいわい出来たのは良かったが、辛いイベントである。
 8月の特筆できる事象として、富士総合火力演習へ参加できたことがある。3年ぶり(?多分)の参加で今回は写真の総力を投入すべく、望遠レンズEF300mmF2.8Lをレンタルして挑んだ。当日が雨で一部演習が省かれるなど残念な面があったが、10式の実弾演習を見られたのは最高であった。筆者だけは龍道氏から頂いたシートチケットで観戦でき、本当にありがたかった。筆者以外の参加者が参加経験なしのため、失敗したなぁと思った場面は多々あったがこの反省を元に次回以降に繋げていきたい。晴天下で見られればあと1回でいい。総合火力演習後は諏訪地域を視察し、御射山下社例大祭視察をおこなった。今まで見たことが無い御射山下社の姿に感動した。来年以降もこういうイベントに合わせて外出をしていくことを目指したい。
 
 ここで艦これについて記述しておく。艦これ、艦隊これくしょんは、角川が作ったDMMのオンラインゲームである。第二次大戦中の艦艇を擬人化し戦うゲームであるが、2013年7月以降急速なブームメントとなっていく。かく言う筆者も朝5時から起きて任務を達成する作業を10月初頭まで続けていた。筆者の傾向どおり、一時期は大変嵌まるのだが、飽きると非常に早く、課金経験もあるゲームであったが、2014年1月1日現在全くプレイしていない。ただ、2013年夏から来年にかけてある種のキーワードとなったメディアミックスであり、その界隈のパーセンテージも非常に高い。



2013年10月〜12月期(2014.1.1 3:00JST追記)
 10月に発動した外務は浜松航空祭視察と竹原情景の路の2つである。横須賀視察計画、紅楼夢視察計画など重要な計画が実施されていたが、労働や資金の問題に押され発動出来る精神的肉体的余裕が無くなっていた。特に紅楼夢においては実際的には参加できたが、実家に帰省し精神の安定を優先した面が見られる。また、これまで金曜日夜からの発動といったパターンが基本であったが、土曜日は出勤せざるを得ない状態に陥り、土曜日夜からの発動や日曜日だけの日帰り発動など11月12月の不調の原因となった。
 11月も同様であり、11月17日発動の秋吉台、関西研修以外はすべてどちらかを休日出勤または精神・肉体的な疲労により活動力の低下が顕著である。関西研修では多忙な関西メンバーが揃ったイベントで大変楽しかった。
 その中、twitterはもはや廃止したに近い状況であり、Blogも同様であった。唯一不要な情報をカットできるLINEのみがコミュニケーションの中心にあり、来年以降一時的な回復が見られても労働耐性が上昇しないかぎり継続していくと思われる。0時過ぎに帰宅する中、それらをやっている中それらに触れる余裕はない。通勤時間もあるが、そこに精神の余裕はない。その状況は艦これや発売されたばかりのバトルフィールド4の急速な減速が表現している。もはやそんなことをやっている時間ないのだ。
 12月に入り余裕が生まれると想定し、計画した北海道視察計画は冬季北海道の宿命か欠航となり、遅延12時間を生む。北海道視察は最高であったが、12月の余裕は全く無く、かつ勤務日数も少ないことから非常に辛い月であった。これは年度末まで継続される予定であるが、一部計画は2013年より策定しており、それらの発動には総力を投入したい。
 12月については最終的には30日中9日間帰省しており、逃避行動が顕著である。
 なお、バトルフィールド4の発売に伴いサーバー設置等精力的な活動を実施した1ヶ月があったが、ddk50氏のFF14への集中により、また筆者の上記状態から続かなくなった。バトルフィールド4自体の評価は次回以降機会を見つけたい。筆者もFF14をやむを得ずプレイしたが、15日出飽きた。戦闘システムの興奮がないのが原因であり、ここについては永遠名作のJankMetalシステムの復活以外に無い。または、The Elder ScrollsMMORPG化を期待したい。


 政治への展望
 東京都知事の辞任が政治的に大きなニュースと思うが、都政は都政であり、都民ではない筆者には全く関係ない。よって、全く関係ない。好きにしてほしい。オリンピックを東京で開催というのもナショナリズムもなく、まあうれしいぐらいである。
 最も重要なのは安倍政権の今後5年の維持であり、今年成立したNSC法案などの素晴らしい成果をさらに活用し、将来の憲法改正に繋げてもらいたい。政治について不満を述べなくなったのは、過去にのべているように安倍政権に全般の信頼を置いているからである。


 総括的に
 2013年前半は最高だったが、後半は最悪に近い。すべての希望は2014年にある。まさにPARIS RIGINGなどといってGWのパリ・スイスツアー(計画は2013年10月)が最高の希望であり、このために生きているといってよい状態だ。1月以降5月以降の航空券予約が可能になっていくので、さらなる希望を見つけるため新天地視察の計画を整えていく必要がある。特に2013年からは航空主流と海外志望が強くなっており、諸島離島視察や資金など総合的に調整し、年2回の国外視察を基本とする計画の1年目として羽ばたきたいところである。そこに、労働の苦痛を忘れさせる希望があるのだ。
 夏は終わった。



 以上で2013年の回顧としたい。

 2014年1月1日
 大宇宙拡大大帝国建国委員会委員長
 大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝・大帝国大元帥★

 大阪離宮にて

*1:筆者大学生時代以後を指す。記録が残っている時代から

*2:出生地にある宮殿

*3:筆者赴任先の下宿

*4:長野県神城指定旅館

*5:http://d.hatena.ne.jp/blackeye2025/20130320

*6:2013年12月31日23時30分

*7:2013年1月の出雲視察途中に最寄り駅に停車して以来はさらに

*8:空路だと滞在時間が短い。

*9:http://d.hatena.ne.jp/ddk50/20130606#1370526543

*10:北海道組は始発の苫小牧から

copy right 大宇宙拡大大帝国建国委員会 2004-2018.