2014年の回顧と反省、そして2015年へ

 序文
 もはやこのBlogは風前の灯火にである。今日がSNSスマートフォンといった技術がブームであったように、理想国家モデル、大宇宙拡大大帝国の建国への道のりを記録するために、当時キーワードであったblog(webblog)技術を取り入れて執筆を開始された大宇宙拡大大帝国建国記録(以下「建国記録」という。)は、開始から10年を経過した現在その役割を十分に発揮できていない状態に陥っている。
 それは、「自由時間」の激減が主因であるが、労働から心を開放され、2014年最後の24時間となった今こそ建国記録に2014年に行った建国のための不断の努力について明記することは、最低限の義務である。それこそが灯火である。
 灯火を絶やさない。消えてしまった火は再び点火するのは難しい。絶滅した種を復活できないように。
 

 1.1月〜3月について
 2014年の新年は、大阪離宮で迎えた。これは2014年の回顧でも述べているが、有史*1どころか、人生初の決断であった。過去に公用車全損事故を大晦日に起こしたことがあったが、その際も事故発生の2時間後*2を果たし、1度行くと癖になるという状態になった。2回目、3回目の内容は後記するとして、まずは1回目の発動である。
 FPSゲームにBATTLE FIELD 4というゲームがある。筆者のFPS変遷についても10年を節目に記載をしたいところだが、こちらも話がそれるので、次回とする。そのBF4の拡張パックを捩って(ほんとは、そのまま)China Risingと名付けた計画である。すなわち、中華人民共和国への入国を1つ目の海外視察地とした。ここにした理由は単に友人がそこに行こうと行ったからである。日本国内の主要部分を制覇しており、2014年は海外視察の歴史的一歩となる年である。その一歩を中国にして、あの共産主義国家(実際は、共産主義かぶったただの独裁国家だが)にして良いのかという懸念なかったのかと言われればなかった。なぜならば、海外に行ければどこでもよかったからである。大本命は2回目にあり、こちらもこの時点ですでに計画完了済みで、残すは発動日を待つだけという状態にあった。それを前に、出国審査から入国審査までの海外旅行の流れを事前確認したかったのである。海外旅行の練習である。それが1回目の目的であった。
 2014年1月1日早朝、China Risingを発動し、現地時間13時頃に中華人民共和国香港へ入国した。
 China Risingで得られたものは多く、2014年に大規模な民主化抗議活動が展開された地域も視察していたので、地理よくわかった。今年亡くなったトム・クランシーの作品でも香港中心部が描かれており、ニヤリとした。自由民主体制の統治下の香港に行けてよかった。

 2月。昨年と同じく横浜で行われたCP+に参加し、ぷろさんとゆかりLIVEに参加した。相変わらずの国民性(ファン)で統一感が素晴らしい。
仕事の閉塞感から、和歌山県を車で視察している。実は熊野3大社をすべて視察したことがなく、過去新宮に何度か訪れているが、熊野本宮大社と熊野速玉大社の2社のみの参拝で、熊野那智大社の参拝は2月をもって行い、制覇となった。また、同じく閉塞感とストレスから、カラオケをするためだけに、広島に行っている。

 3月。2年ぐらい前から行きたい行きたいといっていた東大寺修二会を見に行った。会社を早退し、15時の大和路快速に乗り、日没15分間ぐらい松明の奉納が行われた。帰宅は21時頃で、意外と行きやすい場所だった。2015年も撮影に挑みたい。三十路会(まだ30歳じゃないよ)の集まりで、箱根一帯を旅行した。強羅絶対防衛線に触れるなど、ロマンスカーに乗ることができた。
 このように、お茶を濁しながら、5月に発動される大本命計画PARIS Risingをストレス*3と戦いながら、唯一の希望として待ち続けたのである。

  2.4月〜6月について
 PARIS Rising計画は、2014年4月から5月のGWにかけて発動されたフランス共和国パリ市を中心とした海外旅行計画の名称である。China Risingと同じく目的地とRisingを足した計画名称である。日数は14日、2週間。PARISと命名したが、実際はパリ市*4モンサンミッシェル(日本人大人気)、意図せずにレンヌ*5、そして、さらに陸路で移動しスイス連邦の諸都市(ジュネーブモントルーレマン湖)、首都ベルン、インターラーケン、ルツェルンチューリヒ)をこれも鉄路で横断する壮大な計画であった。飛行機代で13万円、現地費用に19万円、宿代に10万円を最終的に支出し、総支出42万円の計画であった。
 この計画に対する本年の注目度は最大のものであり、結果的に2014年後半の問題を引き起こす原因にもなった。

 4月。PARIS Risingは目前と迫っていた。すでに発動の区切り日、たとえば120日前、90日前などとことあるごとに参加者間で発動日を共有しあい、日に日に高まってきた意欲は4月最高のものになる。だが、この時仕事も今年最大の内容が迫っていた。仕事への絶望があった。*6
 5月25日UPFG大型企画で、初めてのスタイルの企画を実施し、参加する。「尾道議会」である。*7 予想以上にメンバーに好評で、筆者も今日を迎えて、回顧する中でこれが今年のイベントであったことに驚愕する。
 5月最終日に離島諸島視察推進方針をもとに、石垣島視察を発動する。*8 西表島*9竹富島*10 蛍撮影に成功したが、最初は練習的なショットしか取れなかった。

 6月。「SHATTERED SKIES ソ ラ ノ カ ケ ラ」というフレーズを1日1回労働が終わった後つぶやいている。このあたりが、限界点だったと考える。ボーナスで、ARCASWISS規格のカメラ雲台を購入する。筆者のカメラ歴史黎明期に6万円の雲台なんか絶対に買わないといっていた時代が、懐かしい。L型プレート*11
 6月22日に行われたNANA MIZUKI LIVE FLIGHT 2014福岡公演が最後の助けとなったが、7月までは持たなかった。
 
 
 
 

  3.7月〜9月について 
 7月に北海道視察計画を発動する。もっともよいシーズンの北海道を楽しむという目的であったが、実際は1か月ずれており、9月に再度北海道へ向かっている。この時は、2014年前半のあらゆる過労を癒すために北海道に向かった。その結果、完全に現実に絶望する。ここで、一週間また仕事を休んだ。
 その甲斐もあって何とか復帰したが、2014年後半の生活スタイルを決定づけた。毎年訪れている伊勢神宮奉納花火大会、浜坂花火大会を視察した。これらの撮影結果は、伊勢神宮は雨に降られ、浜坂は3回目とあってレンズのスタイルを変えたところ、大はずれし、失敗した。
 7月豪雨が発生し、まさかのJR中央線が不通となる。関西方面から長野に行く現実的な唯一の鉄路であり、その翌週に長野に行く予定にしていてこともあり、ダメージは大きかった。結局公用車を運用し、比較的運転しやすく、精神的に楽な北陸道経由で向かった。奇しくも舞鶴自動車道が全通しており、その内容も確かめたかった。舞鶴自動車道の小浜〜敦賀区間はまさに最新の道路設計であり、20本ぐらいトンネルがあるのだが、非常に緩やかなカーブを描きながら、ほとんど直線の道路が20kmぐらい続く道であった。現代土木技術の粋が投入されていると確信した。
 長野では木崎湖にてキャンプし、夏の大三角を見た。美しい夜空であった。

 8月。マ氏が来丹され、「晩秋の福島」*12に来福することを決意する。また精神的不安定の解決策について、筆者の中で結論付けることができた。改善の一歩を決意した日であった。実写版パトレイバーが2014年は公開された年で、全国各地でイングラム*13のデッキアップイベントが行われた。台風が接近しており*14イベント中止かと思われたが、午後からは弱まり、カメラに収めた。さんふらわとイングラムは、初期OVAの最終話に一致するところがあり、感動した。
 コミケに欠席し、当初目標にしていなかったが、3月ぐらいから目標にし出した、12か月連続航空機登場記録は8月で絶えた。なお、2014年は8月以外は飛行機に乗っている。
 総合火力演習に当選し、「EF 200-400mm F4L Extender x1.4」レンズをレンタルし、挑む。3万円して借りたが、結果的には敗北した。撮影位置が悪かった。さわやかに2日間で3回行き満足する。

 9月。第1週目、1か月ぶりに北海道へ行く。この時はUPFG光画部の企画で撮影旅行を行った。内容は楽しかったが、北海道がでかすぎて、写真を集中して撮影できたかについては、今後改善が必要であると感じた。
 第2週、TAIWAN Rising発動。3回目の海外旅行である。友人から台湾は3日あれば行けるという言葉を聞き、9月の3連休+年休で発動する。台湾の新幹線が、我が国の新幹線のコピーだと実感したし、アジアンテイストを楽しむ良い旅行であった。夜市*15やお茶*16攻殻機動隊S.A.C. 2ndG.I.G.のマネをしたりとよかった。ただ台湾は地理的に沖縄より緯度が低く、気温が高く観光には辛かった。もっと涼しい時期に次回は行こうと思う。
 第3週、UDON Risingを発動。そうめんを食う、一芸大会など次が見えてきたし、うどんも今年でいったんお休みとなった。
 
 
 
 
  4.10月〜12月について 
 10月。iPhone6 Plusにスマホを交換する。iPhone5(無印)を使っており、2013年7月を超えたあたりからバッテリーの持ちが壊滅的に悪くなり、交換が必須であった。発売日は台湾へ入国する日でフライト時間ぎりぎりで開始され、何とか予約していた。1か月待ちの表示であったが、実際は1週間程度しか待っていない。写真の画質が格段に向上し、仕事で写真を撮る必要がある場面にも十分使える内容になった。ロープライスのコンデジは駆逐されていくだろう。
 竹田城址の雲海を撮影する。この時期雲海が発生する時期であり、昨年ぐらいから雲海を取ることは必達目標になっており、前日の発生報告とほとんど同じ気象条件が期待できることから、未明より現地入りし、撮影に成功した。なお、山を舐めており、道に迷って山頂を目指していたが、展望台はもっと低層にあり、山を登りすぎてしまった。また、この時カメラをリュックサックから落下させ、EF24-70mm F2.8L USM IIのフィルターマウントを破損する。台湾の観光でも50mmF1.2Lを落下させ損傷させており、今年は2つのレンズを破損させ、運用を中止となった。
 10月最終週には、3年に1回の自衛隊イベント。航空観閲式の見学に向かう。普段の航空祭と一味違ったイベントで、様々な自衛隊機を見ることができた。政府専用機の飛行シーンなどはなかなか見られないと思う。米軍から参加したオスプレイを見られ大変良かった。

 11月。富野由悠季監督がターンAガンダム以来15年ぶりとなるガンダムGのレコンギスタを発表し、TV放映が始まる。素晴らしい。
 銀河英雄伝説全110話の無料配信が5日間の予定で行われるが、睡眠時間以外は見通さないとみられない設定で、笑う。30話までしか見られず。
 5年ぶりに福島県を視察し、会津若松地方を観光した。晩秋。白秋であった。
 さらに、北海道視察計画を発動。遠軽地方を視察した。
 この時、長野県北部で地震が発生し、永遠の故郷 木塵が被災された。来年のこの日に復活されることを決意されており、本当に頑張ってほしいと思う。
 
 12月。映画楽園追放に嵌る。*17
 PCの経年が4年経過しており、予算の関係から部分部分の改修(CPU、メモリ、マザーボード)を実施したが、OSが認識しない、ディスプレイが認識しない、有名なエラーでブルースクリーンになるの3苦を経験した。なお、OSが認識しない以外は治っておらず、現在も調査している。
 12月18日にMETAL GEAR SOLID V GROUND ZEROESのPC版がsteamで配信されて、MGSに熱を出す。
 12月25日には、PSvitaを購入し、30日まで、MGS PWに集中していたが、来年の目標を考えながら、「遊ぶ側」ではだめだと感じる。 
 
 
 
 
 数少ない読者へ
 本稿は、執筆に際して大晦日という多忙な時間(こころは安らかである)で行っており、2015年1月1日未明の完成を目指す。
 次の更新は、31日14時を目標とする。
 

 理想国家を建国させる筆者へ
 以下の項目を記載すること。
 1月〜3月 China Risng. ほかにもなにかあったはずだ。
 4月〜6月 PARIS Rising. 石垣Rising.
       閉話休題として、飛行機12ヶ月計画、労働と心身
 7月〜9月 北海道1、北海道2、TAIWAN Rising
       H2A計画中止について、
 10月〜12月 絶望と労働について補足があれば
        航空観閲式と200-400レンズ、カメラ方針(あるかスイス)、竹田城
       映画楽園追放-Expelled from Paradise-
 西 暦 2 0 1 5 年 と は 〜展望〜


 参考文献
 http://d.hatena.ne.jp/ddk50/20141231#1420038675


 更新履歴
 31日5時  序文、数少ない読者へ、理想国家を建国させる筆者への3項目執筆、公開。        
 31日14時 1.1月〜3月執筆、公開。
 2015年1月1日1時30分 2.4〜6月執筆、公開。参考文献枠追加。
 1日2時40分 3.7月〜9月について執筆、公開。新年1作目の映画、攻殻機動隊 Ghost in the shellを見ながら
 1日3時30分 3.7月〜9月について執筆、公開。新年2作目の映画、イノセンスを見ながら、 

*1:建国記録執筆開始から

*2:事故発生は、2011年12月31日21時06分ごろである。)の23時台には京都宮殿を稼働させ、事故について回想していた。それだけ大晦日から元旦における京都宮殿での時間は重要視されていた。  それを覆したのは、こちらも人生初の出来事である。外務視察計画(旅行)の海外化である。結果的に2014年は3回国外逃亡((労働から

*3:日々の壮絶な締切

*4:市内、ルーブル美術館ヴェルサイユ宮殿セーヌ川エッフェル塔

*5:現地計画運用上のミスによる

*6:ここであまりの絶望を思い出し、NHK教育テレビで行われたいた21時からのクラッシック音楽に逃避し、執筆遅延2時間) PARIS Rising発動直前まで3月からひきづって多忙を極め、PARIS Rising当日は若干寝坊し、友達に起こしてもらいながら空港へ向かった。  PARIS Rising 最高の時間だった。すべてから解放され、すべてが自由だった。 PARIS Rising!!!!!!!  5月。1週間目をスイスで過ごす。スイスは、パリと違い、避暑地的なリゾートであった。パリは買い物をするところ、スイスは休暇を楽しむところであった。若干シーズン違いの時期に来てしまったのは当初からわかっていたが、次回は夏に行きたい。また都会的な腐臭もなく、非常に良かった。  14日間の工程を終え、帰国。金曜日に1日出勤したあと、すべてが不調になり、1週間休む。((現実へようこそ

*7:参考:http://togetter.com/li/672813

*8:ISIGAKI Rising

*9:訪問時、にしおもてじまと読み、数分後ああ、いりおもてじまってここだったのかと知る。あんまりプランをかんがえていなかったため。

*10:教科書選定問題で揺れる、左派的

*11:ただの鉄。http://tsubuzorotta.com/labo/tools/cinema_camera/

*12:Canon提供番組 写真家たちの残したい日本の情景で、使われたキーワード

*13:正式に警察用として作られた警察用パトレイバーの機機種名。ロボット。

*14:確か?台風じゃないかもしれないが、暴風だった。

*15:恒川光太郎に同名作品あり。おススメ

*16:水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる。思想ウィルスを乖離し、出島に戻った俺に難民の多くが結線し始めました。

*17:http://d.hatena.ne.jp/blackeye2025/20141204/1417635862

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