2018年の回顧と反省、そして2019年 平成の終焉へ向けて



はじめに
 ここ2年の大帝国建国記録(以下「建国記録」という。)は、Twitterの自動投稿で補完し、その機能を維持させる状態が精一杯の状態であった。幾度となく、表明してきたが、建国記録では主たる筆者の生活状況の話題である「労働」のついて、詳細に記載することは、社の規定上不可能であり、また筆者としてもそれをオープンコンテンツで発表する方針はない。
 2015年からこの振り返りが実施できていない。書くべきことはあったが、書かなかった。それはなぜか。執筆する行為が心身に重い負担だったからである。過去の記憶でしかないが、このレベルの記録の執筆となると、1時間や2時間で終わっていることは少なく、休憩を適時挟みながら、半日程度の時間をかけて、または数日に分けて記載した思い出もある。
 2018年は、平成最期の年と言われているが、2019年4月30日こそ平成最期の日であるので、2018年が平成最期という呼び方で呼ばれていることに疑念を持っている。

 そのような時代性を記録するためにも、建国記録は残されるべきであり、それが全世界の人類に共通して有益な資源であるかは、別にして、例えネットのごみであろうと、今年は記載をしたいという思いに至った。実に3年ぶりとなる大型執筆に懐かしみと語彙が維持されているのか(向上しているのか?)、以前の水準を確保できるか、またその上を目指せるかはわからないが、キーボードをたたいてみようと思う。
 本稿では、2018年1月~12月の回顧そして、2019年における考えを表明したい。

 

1.1月~3月について
 1月のカレンダーを見直すと、正月休みが短かったようだ。年を明けてからは、正月の三が日しか休めておらず、この様子だと、1月3日に京都宮殿から、大阪離宮へ移動したと思われる。

 当時のtwitter投稿を見てみると、この時はネット映像配信サービスの「amebaTV」を正月に楽しんでいる。twitterも連日何かを述べているようではなく、記憶に頼る部分があるが、1月は「NANA MIZUKI LIVE GATE 2018」の参加と、仕事でプロジェクトの完成を迎える日があった。後者についてはtwitterでも当然言及はない。だが、さすがに今年の内容であったので、よく覚えている。
 本来2017年の回顧を行っていれば、今からの数行は記載する必要がないのだが、それを行っていないため、説明を行う。

 水樹奈々(以下、「お奈々」という。)さんのファンクラブ(以下、「FC」という。)に2017年1月に入会している。お奈々のライブ自体は、2014年ごろから参加しているのだが、人気すぎて一般販売ではチケットが取られない争奪戦となるため、FCに入った経緯がある。2017年からはツアーやお奈々が出演するイベントにかなりの頻度、また優先度をつけて参加していた。
 「NANA MIZUKI LIVE GATE 2018」、これは地方在住民(この場合関東圏以外を指す)には、全通(すべてのイベントに参加すること)が難しいイベントであった。既に述べたように、お奈々のイベント・ライブには2017年も全国各地(NANA MIZUKI LIVE ZIPANGU 2017のこと)で参加しており、「NANA MIZUKI LIVE GATE 2018」にも、2017年秋ごろにチェットを申し込んだ際、全通する考えでいた。ただ、それでもこの予定は非常にきついイベントだったのだ。当時の資料を検索すればわかると思うが、筆者の言葉でも伝えたい。

 「NANA MIZUKI LIVE GATE 2018」とは、東京の武道館にて、7回開催されたライブイベントの総称で、そのスケジュールは、1月11日(木)、1月13日(土)、1月14日(日)、1月16日(火)、1月18日(木)、1月20日(土)、1月21日(日、最終日かつお奈々誕生日)であった。この内容が発表されたとき、世の中は「前人未踏」や「水樹奈々は化け物」といったトレンドワードが出現するほど衝撃的な日程設定であった。

 筆者は大阪に在住しているが、このスケジュールをこなすためには、1週間以上会社を休むか、スケジュールに合わせて上京するか、の2択しかない。筆者はチェットを手配した段階で、後者を選んだ。この時期は人生最高の頻度の東京移動期となる予定であった…。
 しかし、破綻した。なぜか、仕事が終わらなかったのである。秋の時点では予想していなかった仕事が舞い込み、特に平日の参加は極めて困難な状態となった。

 さらには、最悪な事態として1月21日(日)にどうしても出勤せざるを得ないどうでもいい仕事が発生した。本当にどうでもいい仕事だったのだが、どうしても出勤しなくてはならなかったのである。これにより、結果的に参加できた日は、1月11日(木、初日)、1月13日(土)、1月20日(土)の3回だった。7回中3回だった!チケットを持っていても、7回中3回しか参加できなかった。この苦しみと恨みは、夏に発現する。
 なお、NANA MIZUKI LIVE GATE 2018」は最高であった。筆者を取り巻く環境が、「NANA MIZUKI LIVE GATE 2018」への参加を許さなかったのであった。

 1月11日の参加も一波乱があった。東京に到着した途端、上司から電話がかかってきたことを鮮明に覚えている。内容にも怒りを感じた。11月12日に会議があるが、なぜ参加しないのかという趣旨だった。1月11日に上京した以上、1月14日まで滞在し、LIVEに参加したいのが地方参加者としての思いだ。

 1月12日は振替休日等の手段で休みにしていたが、それに気づかず電話をし、会議に参加する旨を通告してきたことに怒りを感じた。あまりの怒りから、休みを撤回し、参加してもよいと回答した。そうなると、1月11日のLIVE終了次第、直ちに大阪に戻る必要があり、また、1月13日のLIVEのために直ちに東京に移動する必要がある。1往復最低でも2万円するが、それでも、俺(通常であれば、一人称は筆者であるが、ここは怒りがよく伝わるように折れという表現とした)は会議に参加しましょうか!!と怒りを込めて回答した。

 上司は私が振替休日をとっている旨を理解し、休みなら会議に参加しなくてよいと再度通告したので、ただでさえ多い大阪―東京往復を1回増やさずに済んだ。だが、最終的には1月14日の公演には参加できなことが後々判明し、1月14日の昼に帰阪した。本当にどうでもいい仕事だったのだが、どうしても出勤しなくてはならなかったのである。(2回目)(涙)

 このような言を述べているが、最大級の怒りを持っていたのは間違いなく、次回こそ全通を果たすと決意した。

 しかし、その矢先に次回ツアーの初日の日程が公開された。これも、絶対的に仕事を休めないプロジェクト上の重大な日であったことから、さらに落胆を重ねた。

  絶対に外せない業務上のプロジェクトは、非常にどうでもいい内容であったが、筆者の多大なる私生活の犠牲により、完遂した

 

 2018年の1月~3月期は、仕事が特に多忙を極めた。(他の時期が忙しくなかったわけではない)だが、ここから夏まで、そして秋から冬にかけては仕事が忙しく、心身を抑圧する日々であった。

 2月に特筆すべき事柄は、もはや休日出勤をしないと業務を遂行できない量だったようで、休日出勤を繰り返している。カレンダー等を見ると、会社から帰らずに泊まった日もあるようだ。

 もやは、心身を健康に戻す手段は、LIVE興行しかなくなっており、下記のLIVEに参加している。なお、会場である武蔵野の森総合スポーツプラザ in 調布市, 東京都は2017年秋に完成したばかりの箱である。その後、3月のシンフォギアLIVE2018や、リリカルパーティ6などで、2018年に4回ほど訪れている。

 また、業務上の話で限れば、プロジェクトの進捗にかかわる失敗を2件発生させ、手戻りとなった。これは、業務過多でダブルチェック機能が喪失していたため、発生した事象であった。

 3月は前述したとおり、シンフォギアLIVE2018に参加している。なお、2日目の投稿を取り上げているが、2日間開催中どちらも参加した。最高のフォニックゲインの高まりであった。  

 3月は業務が落ち着きつつあった。そして、数年間にわたり主宰してきたプロジェクトが完成した日でもあった。この時完成した成果物を見たときは、現地でこれまでの苦労を思い出し、落涙し、同行した社員と祝杯を挙げた。これは、うれしかった。

 3月中旬時点で春の装いが見られたことから、早期にさくら撮影計画の立案が必要であると認識し、さくらをどこで撮影するかを検討していた。ところが、3月下旬に再び寒戻りが発生し、このスケジュールが大幅に狂った。

 山口県下関市で桜の開花を観測できず、どこなら桜を観測できるのかという調査をしたところ、熊本県では開花していることが判明し、大学生時代のノリのごとく、山口県から熊本県へさくらを追って車で5時間かけて移動するという奇行に走ってしまう。一種のマリーテレスト現象に参加者全員が落ちいており、絶対に満開のさくらを見ないといけないという合意が形成されてしまったのだ。

 

 

 山口県萩市に宿泊し、この時オンエアーされていたポプテピピックを鑑賞した翌日、当事者達はさくらが満開の熊本県に立っていた。帰路に至っては、車では予定した終電に間に合わすことができなかったため、途中の小倉駅で同行者と先行分離し、帰宅した。

 

2.4月~6月について

 起きたら書く(12月31日3時08分) 起きて、昼ご飯を食べたので執筆開始。12月31日14時07分

 

 新年度のスタートとなった4月。その初日は日曜だったため、さくら撮影計画を発動している。結果的に4月中旬までに、悲劇(笑)の熊本、姫路、和歌山、金沢、新潟のさくらを撮影し、さくら撮影計画は完了させている。

 

 だが、もはや全く記憶にないのだが、年度初から、ほぼ終電に近い時間に帰宅している記録がある。  

 

 これはいったい何だったのだろうか…?なんの業務でここまで遅い時間になったか記憶は定かではない。仕事のことなど覚えていないからだ。昨年から2018年6月、7月、そして12月にと大規模な業務プロジェクトの遂行が決まっており、その始まりの狼煙だったのかもしれない。(実際スタートは、遅れていた。)

 4月の特筆する出来事として、ぎっくり腰の発生がある。京都宮殿にて荷物整理をしていたところ、無理な体制で作業を行った際発生し、2,3日寝たきりになった。いつかはなるかわからない寝たきり生活を先行して味わったわけだが、腰に力が入らない状況は想像以上で、立ち上がることもできないことを十二分に味わった。   

  昨年公開された、感動作のメディア媒体が発売され、調達している。   

  5月の大型連休は例年外務視察計画の大骨であるが、今回は人選等の調整が企画段階から難航しており、また、意見集約した結果国内の離島という意見により、4年ぶりに石垣島で過ごすこととした。「Ishigaki Island 2018」の発動である。もちろん読者である、FPSフリークの方はすぐに賢察が付くと思うが、「今回の計画名は、BFシリーズで有名な、マップ Wake Island をオマージュした。」ものである。Ishigaki Island 2018計画については、最高のバカンスであったことは間違いない。

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石垣島

 5月の前半はそのようにして終わった。  

 リリカルパーティに参加し、結果的に今年最後となった武蔵野の森総合スポーツプラザに行った。その後は飛行機の取得ミス(かなりの数犯している)のため、新幹線にて出勤している。

 また、映画についても鑑賞をしており、以下の通り講評している。面白くなかった訳ではない。

 

 5月20日の眠気は、業務に伴う特別な眠気である。詳細は筆者に直接確認してほしい。

 

 6月からは我が国が激甚な災害に襲われた最初の月である。これらの出来事が、今年の漢字を「災」に決めた決定的出来事であった。そして、今年生きていた同時代人も納得する出来事で、完全な復旧は2018年12月31日時点を持ってもできていない箇所がある。(7年前の東日本大震災の被害も復旧していない)

 平成30年05月12日 長野県北部を震源とする地震  

 平成30年06月18日 大阪府北部を震源とする地震 

 平成30年07月03日 平成30年7月豪雨及び台風第12号による被害

 平成30年07月27日 東京都多摩市における工事中の建物火災

 平成30年08月10日 群馬県消防防災ヘリコプター墜落事故

 平成30年09月03日 平成30年台風第21号による被害

 平成30年08月23日 平成30年台風第20号による被害 

 平成30年09月06日 平成30年北海道胆振東部地震による被害 

 平成30年12月16日 札幌市爆発火災

 筆者の記憶に残る惨事をリストアップした。5月12日の長野地震は、人的・物的被害はなかった。続いて発生した6月18日の大阪北部地震は筆者も地震を体感し、家屋損壊等の被災はしなかったが、交通機関の乱れなど実質的な影響を受けた。また、ブロック塀が倒壊するなどし、死者も発生した。

 大阪北部地震に伴い、筆者の心境は変化した。筆者はコンビニ生活をつづけているのだが、その備蓄はコンビニ頼るところが大であった。その後発生した7月豪雨や台風21号被害は物流を途絶えさせた。筆者が毎日の糧を調達していたコンビニから食料が消えたのである。当然といえば当然だが、目の当たりにして、ここまで買い占め行動に至るものなのかと落胆した。現代日本において、3日間耐えられる食料および水があれば、政府による災害派遣による支援が期待できる。

 だが、高度に発展した社会においては、食料、水および電気の確保は、非常に重要な地位を、個々人の中で占めており、前述した消費行動がおこなれる。大阪北部地震では、食糧、水、電源の確保に筆者は幸いにして一時的停止があっただけであった。だが、その衝撃は十分であり、これ以降災害備蓄および電源の確保のためにモバイルバッテリーの追加発注、ラジオの準備など、災害を待つのではなく、災害に備える姿勢へと大きく舵を切るできことであった。

 また、交通機関の大規模な障害のため、徒歩で出勤したため(休んでもよかったが)、10年ほど前に調達し、運用を停止していた自転車を再配備するべく整備を進めた。その結果、9月3日の台風21号による交通障害発生時は、自転車で通勤できた。(徒歩だと3時間、自転車だと1時間かかる。通常の手段だと45分かかる。)

 大阪地区に特筆する被害として、9月3日の台風21号がある。これは、大阪地区の一軒家の瓦屋根を飛ばし、また車をも横転させた被害を発生させた。現在も大阪離宮から見ても、ブルーシートで覆われている一軒家は多く、東日本大震災の半年後に仙台を視察した時の風景と同じだった。

 さらに関西空港の浸水による運用停止(7日間程度だったと思うが)や、船舶が関西空港連絡橋に衝突し鉄道と道路を破壊した。鉄道は3週間ぐらいで復旧したが、道路は現在も片道通行にて運用しており完全復旧は2019年夏ごろと思われる。国際線や国際貨物線に大きな影響を与えた。仮復旧に際しては、一時国有化されたような状態で、政府からの下命による復旧が進められたようだ。復旧作業にあたっては、我が国の総力が投入されたと思う。

 復旧判断が遅い当局にいら立った結果であるが、我が国の重要な国際空港ゆえにそれは仕方ないだろう。そして、それでよかった。

  

3.7月~9月について

 16時32分から執筆開始。

 7月にボーナス支給に伴うPC2018の構築に着手した。

 自作PCについては、過去からの経験と知識からそれほど上京に変化はないと高を括っていたが、SSD M.2規格の実装に苦労した。M/Bに実装できるタイプとできないタイプ(SATAタイプとPCIEタイプ)があり、筆者はM/Bに実装できないタイプを3枚調達した。1枚をM/Bに実装。他2枚をパーツの追加購入を実施し、実装させた。

 兼ねてから必要と認識していたが調達を遅らせてきたNAS(Network Strage Saver)を導入し、3年に1回のHDDフル交換によるバックアップではなく、冗長化によるバックアップを構成した。ともあれ、twtterの記録を見る限り、7月5日にPC2018の正式稼働をさせている。   

 すでに記載した災害に伴い、NANA MIZUKI LIVE ISLAND 2018は様々な場面で、参加決断において、辛い場面があったが、お奈々も私が歌うことが気持ち落ちしているみんなに元気を与えることになると述べており、その通りだと思ったので、参加した。

 その後、被災地となった広島、台風接近で四国から離脱できないのではと一波乱のあった高知公演、熊本地震の被災地でまだ復旧していない状況を実感した熊本公演、特に何もなく平和だった和歌山公演、そして千穐楽メットライフドーム西武ドーム)公演を終え、NANA MIZUKI LIVE ISLAND 2018は筆者の7月~9月を支える屋台骨であった。

 KING SUPER LIVE 2018、同 TIWANまた、NANA MIZUKI LIVE ISLAND 2018+ taiwanに参加し、お奈々の元気を頂いた日々だった。KING SUPER LIVE 2018TIWAN公演では、水瀬いのりの輝きと未来を感じた。

 台湾からの帰国便は、大阪は台風の直撃を受け、台風21号の被害で日和った関西空港が閉鎖となり、代替便を手配し、ほぼ予定通り帰国した。同行した友人は、その後の鉄路が運行しておらず、レンタカーを借りて帰宅した。

 映画については、下記の通りであった。  

 未来のミライの映画監督だが、よく考えれば、サマーウォーズ以外は筆者としてはピンと来た作品がなく、その後の2作も同様の評価だったので、それが続いただけであった。ただ、ペンギン・ハイウェイ未来のミライに比較すればの話であり、とびぬけてよかったというわけでもない。

 2018年の決定的映画は、10月21日公開の「魔法少女リリカルなのは Detonation」まで待つことなる。     

 この時期の記録として、さらに3件の内容を記載する必要があるが、そのうち1件は進捗中のため、完結次第さかのぼって経緯を記載する。そのため、残す2件について記載する。

 もちろん、一つ目は労働である。

 4月からスタートしていた午前様の状態は、この日を目指しても内容だったと推察されるが、もはやどうでもいい。

 ただ、この日は特別な日だった。

 そして、NANA MIZUKI LIVE ISLAND 2018の初日(仙台)の日だった。

 これで、一休みできると思うのが大間違いであり、ここから12月に向けての準備期間がスタートするのだが、ここでコケる。

 

 

 

 

 

 

 

 2週間休んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2014年に労働についての状況を一般的に紹介したが、その状態は継続されており、7月23日に至る苦節の日々は、相当のものであった。そして、またそれが6か月後にあるという心労は、心身の限界を超えた。

 そのため、精神科に強制通院をさせられ、投薬指導を受け、現在に至るまで治療をしている。労働環境が改善されない限り、すなわち筆者の思う理想状態と現実状態のずれ(ギャップ)に筆者が許せる状態、すなわち理想を低くさせる時が来るまで、この状況は解決しない。

 これが2つ目の内容である。

 12月の内容で記載すべきだが、12月は休みが3日間しかなく、休日出勤も2回実施するという非常にタイトな状況であった。帰省もギリギリとなり、そのギリギリまで仕事を行っていた。

 それは、理想状態が依然に高い状態であることを示している。また、理想状態が高いことから、正月時期であっても、仕事に対応できるように処置を施して、帰省をしている。心休まらぬ状況であるが、理想が高いので仕方ない。そのずれが、心身を破壊していくのだ。 理解してもやめられない性格なので、仕方ない。

 再度の記述となるが、3つ目は、完遂した際に追って紹介する。

 

4.10月~12月ついて

 2018年を代表する映画と言われれば、10月21日公開の「魔法少女リリカルなのは Detonation」しかないのだが、「若おかみは小学生!」という映画もよかった。(もともと15分アニメとして、日曜の早朝に放映しており、筆者はその段階から鑑賞していた)

 通算30回を鑑賞し、魔法少女リリカルなのは Detonationは大阪地区主要劇場での公演を終えた。もっと書くべきことがあるかもしれないが、魔法少女リリカルなのは Detonationについては、映画を見れば、それがわかるので、記載することは逆に少ない。魔法少女リリカルなのは Detonationと過ごした2か月だった。(涙)     他にも、アニメ作品の映画化が多いとしだったのか、夏目友人帳という作品をあらゆるクロスメディアを通じて、劇場版が初の接点だった。面白かったので、amazon plimeでTV版を見た。   

    

  

 この時期は、運命の朝を迎えるために、公私ともに多忙を極めていた。そして運命の朝が終わった後も、多忙を極めた。また、2014年からの傾向でもあるが、12時出勤22時帰宅という午後出勤でなければ、精神が維持できない日々が多かった。  

 

5.平成の終焉について そして2019年へ

 本意では、2018年に執筆したかったが、12月31日19時頃より心身に不調を来し、寝込んでしまった。そのため、不本意ながら、2019年になったいま執筆している。

 改めて強く伝えたいのは、2018年は平成最後ではない。今上陛下が譲位されるまで、平成の世である。何を勘違いしてか、2018年の終わりをもって平成最後と思っている輩が多い。同時代人としてここだけは記録しておきたい。

 平成への今上陛下の想いは大変素晴らしく、12月23日に行われた天皇として最後の誕生日についてのお言葉は、今上陛下に想いが深く伝わり、落涙を禁じ得なかった。

 2019年どのように筆者が生きるかはわからないが、ここで進捗中につき記載を控えている内容について成熟させ、新たなる時代へと進みたいと考えている。

 また、末尾となったが、2019年最初の執筆であることから、ご挨拶にて締めたい。

 

  謹賀新年 今年もよろしくお願いします。

  平成31年 元旦

 大宇宙拡大大帝国建国委員会委員長

 大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝・大帝国大元帥

  2019年(平成31年)1月1日 京都宮殿にて

 

 

 

 履歴

 2018年12月31日 3時08分、はじめに、1~3月についてを公開。

 2018年12月31日 3時10分、誤記・言い回しの修正

 2018年12月31日 14時31分 2.4月~6月について 執筆開始

 2018年12月31日 15時19分 2.4月~6月について 公開

 2018年12月31日 15時23分 台風21号の大阪地区の被害についておよび見解について追記、誤記修正。

 2018年12月31日 17時14分 3.7月~9月について 公開

  2018年12月31日 18時00分 4.10月~12月について 公開

 2019年1月1日 20時22分 2019年ついて 公開

 

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