後藤田正晴氏、死去

 抜群の情報収集力と的確な判断力から「カミソリ」の異名で知られる一方、護憲派の論客でもあった後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)元副総理が十九日午後八時五十三分、肺炎のため都内の順天堂大病院で死去した。九十一歳だった。徳島県出身。密葬は親族のみで執り行われた。「お別れの会」を東京、徳島で行うが日取りなどは未定。喪主は妻松子(まつこ)さん。
(中略)
 東大法学部卒業後、旧内務省入り。一九七二年には警察庁長官として連合赤軍あさま山荘事件の解決を指揮した。退官後、田中角栄首相に請われて官房副長官に就任。七六年衆院選で旧徳島全県区で初当選し、豊富な官僚経験から田中氏の「知恵袋」として重用された。

 カミソリの異名。それで先ず余が思い出したのは、後藤警部補である。なるほど、後藤警部補のような人だったのか。それは素晴らしい人物だったんだろうと思う。昨日ニュースを見ていても、素晴らしい経歴の持ち主であったと感じた。やはりこのレベルになるのは、東大レベルが必要なのだろうかとも思った。
ソース:(中日新聞http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20050921/eve_____sei_____005.shtml

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