時をかける少女 通常版 [DVD]

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 余談
 本作に対する関心は2日前まで全くなく、女子高校生が主人公と思われる事以外は何も情報を持っていなかった。ところが、某匿名巨大掲示板などを歩いているとそれに関する情報が書かれており、状況設定は少し掴む事が出来ていた。
 そんな中、本作の視聴を行った。


 恒例の批判
 あと1回、この批判は行う予定である。この映画と同時期に公開された映画として上映されたアニメ作品がある。この時期とは、昨年2006年夏であるのだが、その時期に公開された作品とは、ゲド戦記である。
 このゲド戦記という映画は一体何なのだろうか。本作を見終えた私は再びこの映画について語る義務がある。これほど対照的な映画があるだろうか。かたや壮大な制作費と壮大な広告で支えられ多数の国民に空前絶後の映画を見せつけ、かたやわずかな制作費とわずかな広告で作られ、その結果ごく少数の理解ある人々が見ることが出来た映画。
 この差はどこから出てきたのだろうか。疑問は半年前に概ね解決された。NHKの番組で宮崎駿監督の特集が行われ、その中に息子が作ったゲド戦記の初上映に参加した風景があった。監督は途中でその場から抜け出し、たばこを吸いながらこういった。その風景を引用で伝えたい。

興味深かったのは、宮崎監督が長男・宮崎吾朗さん監督の「ゲド戦記」の試写を見た映像です。1時間ほどで席を立ち、所在なげにロビーでタバコを吸う宮崎駿監督にまたも果敢に挑むディレクター。「何が聞きたい」と不機嫌に尋ねられて「感想など」と当たり前の質問です(笑)。宮崎駿監督は「気持ちで映画をつくっちゃいけない」とポツリ。その後、「自分の子どもを見ている気がする」と難解なことをおっしゃる。仕方なく「自分の子どもですか……」とオウム返しのディレクター(涙)。「あっっ、監督キレちゃう」と冷や汗たれましたが、大変親切な宮崎監督は「大人になってない。それだけ」と言い放ち、試写に戻られました。うーむ、プロの目と親心の狭間は複雑です。「ゲド戦記」が公開された後だけに監督の言葉がズシリ。

*1

 分ったと事で、このゲド戦記対する評価は変化することはない。


 本作の評価
 余談が長くなった。確かに、このように作品を見るのは悲しい事かもしれない。作品を普通に見て楽しむ事が出来るのが良い事だと思うが、この楽しみ方も許されると考えている。
 時に本作が、日本アカデミー最優秀アニメーション賞受賞し、富野御大から授与されていることは喜ばしいことだが、ノミネート作品を見る限り、当然と思える部分がある。あらしのよるにゲド戦記ブレイブストーリー名探偵コナン探偵たちの鎮魂歌とあるが、既に酷評したゲド戦記は当然ノミネート外で良かったとし、あらしのよるは一度TV絵本でアニメ化されており、新しさがない。ブレイブストーリーについては、対象年齢がそれであり、また視聴したが新しいと思え、良いと思えた部分は全くない。最後の名探偵コナンについては、TV視聴したがブレイブストーリーと同じといって良いだろう。となると、本作の受賞は当然ともいえる。
 本作の最大の売りは、青春の再現だろう。この点は非常に素晴らしい。筆者も高校生活を思い出した。とりわけ、生徒の心の動きは感銘する。時間移動により、生徒は主人公を除いて環境が変化するのだが、それに併せて上手く主人公の周りが動いている。右に力を入れすぎれば、左から反発が起き、左に力を入れすぎれば、右から反発が起こる。このようなバランス問題が上手く描けていた。
 また、死の恐怖は監督が訴えたかったものではないだろうか。電車に轢かれ死亡してしまうという連想が出来るシーンが本作では視聴者に動機付けされており、強く記憶に残る部分がある。
 帝国宇宙軍司令長官は、本作の設定について広がりがない。とりわけ憶測ではあるが、未来世界の状況や時間移動理論についての設定が解説不足であるということだと思うが、本作でそこまで踏む込むと、蛇足になった可能性が高い。確かに物足りない部分があるが、この物足りなさであるなら、気分の悪いものではない。
 最後に本作の声の出演について述べておこう。近頃どこの利権関係者か不明だが、芸能人を声の出演に使うことがある。クレヨンしんちゃんでは毎回ゲスト出演があるのだが、最近の芸能人には急激に流行り、急激に衰える人がいる。ゲスト出演とは人気があるものが選ばれる傾向があり、特に映画がテレビ放映になった場合などに既に芸能人が衰退し、違和感を感じることがある。まあ、この程度であれば、許しても良いが、作品全体にに多大な阻害を与えることについては感化できない。
 そもそも、声の出演は声優が行うもので、専門職と理解されるべきものである。そこらの素人が出来るものではない。希にそれが素晴らしい人材を発掘することがあるが、その場合採用される人材が元々無名の場合が多い。その点富野御大のセンスは流石であり、それを使えるようにする力があることは富野御大の強さである。
 本作、時をかける少女が、良い作品になったのはある意味注目されなかったからだろう。その注目とは、金づるとして注目されなかったことである。監督たちが生計を立てるためには、現実的に考え、現代世界では金が不可欠だが、そこに犠牲を払い妥協した決断が行われたかは、完成した作品を持って評価したい。

*1:ドロシーさんのテレビつけっぱなし:NHK「プロフェッショナル」宮崎駿監督に密着100日」, http://tvlove.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_3023.html ,2007年7月22日アクセス.

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