2012年を回顧する。

 冒頭
 2012年が終わりを迎える。この回顧をスタートして以来、なかなかその年が終わる前までに、執筆が終わらなかったことが多かったが、2012年に至っては初めて2012年中に回顧を終わらせようという意気込みで、12月30日に執筆に着手している。昨年と同じく、季節ごとに2012年を3か月区切りで回顧し、2013年への展望を導きたい。 
 
 1月〜3月期
 1月期においては、労働への荷重が低く4週すべて外務発動を実施している。

  • 2012年1月7-9日:23-36白馬スキー計画
  • 2012年1月15日:23-37法隆寺他視察計画
  • 2012年1月21-22日:(計画番号なし予定)京都宮殿帰省
  • 2012年1月28-29日:23-38南紀熊野古道視察計画

これらの実績の中で、白馬スキーは大学時代に推進した計画であるが、社会人になって復活した内容である。2010年6月の異動により、同期との交流が活性化し実施した内容である。白馬木塵を利用してのスキー計画で、大学時代に修得した白馬の地理を活用して計画運用された。なお、この際に定期運用最後の乗車となった「きたぐに」号を利用した。
 その後発動した法隆寺他視察計画も職場仲間で計画発動しており、2011年において外務視察計画の発動において顕著にみられる会社メンバーでの外務が実施された。
 しかしながら、23年38号計画ではKEI代表と年間目標であった熊野大社を視察する計画を発動しており、会社メンバーでの外務も発動しつつ、メンバーに他の都合がある場合は筆者が別のメンバーと外務発動するというローテション方式を本格的に採用し始めた。和歌山へは2011年水害で受けた被害を回復するべく、格安の企画切符を販売しておりそれを利用した。熊野大社は3つあるが、それぞれ鉄道による長距離移動後バスや車と行った手段を活用しさらに移動する必要がある。今回活用した切符ではバスフリーになっており、うまく活用することで熊野大社を視察できた。切符消滅後は新宮でのレンタカー活用が現実的と思われる。

 2月は例年決算を踏まえた事務が増加する月で全12か月の中で1,2を争う繁忙月である。実際それを否定せず、日々の記録を回顧しても平日の出来事はほとんど記録されておらず、1月に発動した計画の写真や2月の3連休などに発動した計画の写真が中心である。

  • 2012年2月3-5日:23-39長崎らんたん視察計画(平成23年度第4次九州視察計画)
  • 2012年2月10-12日:23-40WF2012冬関連計画(北陸本線信越本線経由東京および東海道新幹線
  • 2012年2月18-19日:(計画番号なし予定)京都宮殿帰省
  • 2012年2月25-26日:23-41たけはら雛人形視察計画

 外務視察計画においては、土日を確保を最大限に確保し計画の発動を行った。39号計画は長崎らんたん祭を視察し、素晴らしい灯篭の美しさを堪能した。宿泊地であったハウステンボスでは、同行者のクインテッサ氏の進言もあって、初めてセグウェイに乗車しハウステンボス内を優雅に視察した。この経験も先に述べたローテンション方式と同じく2012年を起点とするものであった。セグウェイの乗車体験は素晴らしく、日本国内で数少ない乗車体験のできる北海道にて2012年5月に2回目の体験をする。
 39号計画においては、久しぶりの少人数旅行(3名)で発動し、行程のみを検討し、具体的な目標を制定せずに実施した計画であるが、このような成果が出た。そのことから、再び優雅な旅行を復活させるべきという意見が復活し、一部の富裕メンバーを対象とした「貴族院」システムを提案したが、理念のみで具体的な計画発動には至らなかった。また、この計画日において長年注視していたい長野県諏訪湖にて、「御神渡り」という湖が凍る出来事が発生した。これについては、相当の優先度を誇る出来事であったが、平日事務の負荷と長崎計画発動1日目など諸般の理由で視察に至ることはなく、2012年前半の最大の失敗といえる。
 その後、長野経由のWF参加(経費の削減)やたけはらにてひな祭り視察を実施したが、これらは順調に発動された。

 3月についても、2月と同様に平日の事務は混沌を極めた。専属の仕事はなかったが、他のメンバーを支援する形で、泊勤務などを例年通り経験した。

  • 2012年3月3-4日:計画なし。
  • 2012年3月10-11日:23-42大分高架・高千穂視察計画(平成23年度第5次九州視察計画)
  • 2012年3月20日:23-43大阪ストリートフェスタ視察計画
  • 2012年3月30-4月1日:23-44福井スキー計画

 外務においては、42号計画において、悲願であった高千穂の視察を達成する。大分からレンタカー運用し、午前10時〜午後20時の時間で高千穂を視察し、竹田に宿泊したように記憶する。高千穂の視察は純粋に個人的な希望であり、昨今外務視察計画の実施優先度にあった舞台訪探に全く関係ないものであった。高千穂の滝と天岩戸神社の視察は大変満足にいくものであった。のちに、高千穂は東方プロジェクトの一舞台となり、写真を提供したNT氏同人誌がakibablogに登場した。*1
 高千穂と同時に大分駅高架工事が完成し、高架上をウォーキングできるイベントがあった。それほど人は来ないと思っていたが、入場2時間待ちのイベントであった。線路を歩くという貴重な体験ができた。そして、いままで利用してきた大分駅が高架にかわるという節目に来れたのはよかった。
 43号計画では、大震災でなぜか中止になったストフェスが2年ぶりに復活。参加した価値はあったが、個人的な盛り上がりは少なかった。44号計画では2012年2回目のスキーへ参加。1回目と全く同じであったが、カメラ撮影をするスキーができ楽しかった。

 4月〜6月期
 平成24年度のスタートとともに、筆者は新しい専属の仕事に取り掛かった。それは、2013年秋に完成を目指すプロジェクトで4月からは仕事的には2011年6月から休ませていた感性を取り戻しスタートを切った。とはいっても、土日出勤をするような繁忙ではなく、このときはまだ先の見えないだが、この時からはたして間に合うだろうかというぼんやりとした不安はあった。そして、それは2012年の終わりに的中する。
 さて、4月といえば桜である。なんといっても桜は季節ものであり、それをどこで見るかは毎年非常に難易度が高い。我々サラリーは平日不定休に休めるわけではなく、土日。だが、桜は平日も咲いている。を踏まえて鑑賞しなければならなかった。そういう意味では2012年のさくらは開花が遅かったように思うが、咲いてみれば例年通りのように思う。
 この時前行の内容を満たすため、1回目の花見は実に移動を主体とした花見とした。一般的に花見であれば1か所に固定しその場所で花を見続けるのであるのだが、桜撮影という名目をつけ朝から日没まで姫路〜大阪城公園までの5つの箇所を回って鑑賞した。満開であれば、それぞれ最高であったのだろうが、やはり1週間確実に早かった。
 翌週は、2012年の花見の大本命をあてた。すなわち、能登半島である。湯涌温泉を舞台とするアニメ「花咲くいろは」のシーンカットを撮影すべく、能登半島金沢市内の視察を実施した。結果的にいえば、もっともベストな時期に能登半島へ行ったと思う。兼六園で桜の花が咲くことなど新しい発見もし、非常に良い外務視察計画であった。撮影では2011年12月に調達したEOS 5DmarkIIや2008年から運用のEOS kiss X2の2台持ちで撮影したが、X2の性能的問題点(ISO感度)に致命的な格差を感じた時期であり、以後EOS kissX2の運用が事実上廃止する流れとなっている。また、主力機であるEOS 5DmarkIIについてはフルサイズ機としての満足度は高く、X2と比較し満足のいく内容であった。(あとは筆者の腕)

  • 24−01号 関西花見計画 4月15日
  • 24−02号 能登半島金沢視察計画 4月21−22日
  • 24−03号 壱岐壱岐ましょう計画 4月28日

 5月には、またも悲願であった平成24年度外務視察計画3号計画壱岐対馬視察計画(壱岐壱岐ましょう計画)を発動する。2012年の目標は今まで行ったことがないところへ行くことを基本としており、取材等で複数回視察をする必要がある、現時点の流行の場所である場合はやむを得ないとして、少なくとも新規視察地の開拓を半分以上行うことを目指していた。その中で、離島諸島を視察することは端的にいって今まで行ったことがないところになっていた。そこで、東方プロジェクト作品の舞台訪探にも資する壱岐対馬という離島の視察を2011年秋より準備していた。壱岐対馬計画では想定通り見たことがない「美しい世界」に触れることができ、計画自体は成功であった。同時に離島諸島での課題として、現金決済が基本であること、食糧(特に朝食)の調達に本州より苦労することがわかった。(コンビニがない)これらの成果は、この計画メンバーの中で共有された。(NT氏、きゃめるさんという東方舞台訪探メンバー)2012年11月にも同様の趣旨の佐渡島視察計画においても反映され発動となった。
 GWは例年通り北海道視察計画を発動した。(24-04GW北海道視察計画、発動。北海道視察は、4年連続8回め。)北海道への移動手段は基本的には航空機であるが、この連休を利用し忙しくて使用できない手段で北海道へゆっくり移動するのが最近のブームである。この時は、4年来の悲願といえる「トワイライトエクスプレス」による鉄路1500㎞22時間の旅を選択した。とはいっても、この選択は簡単にできるものではなく、選択したくても選択ができなかったため、飛行機やフェリーで北海道へ行っていたのである。なぜか。わかる人にはわかると思うが、切符の確保が非常に難しいのである。この時は、乗るという決定を2か月前に実施し、発売日(乗車日の1か月前の午前10時)を休みにし、旅券確保に走った。落武者氏にも手伝っていただき、確保に至った。
 北海道では前から行きたかったえりも岬を視察し、2月以来のセグウェイ乗車、ふるさと銀河線りくべつ鉄道、2度目の層雲峡など非常に満足のいつも通りの北海道であった。(カネもなくなる)
 GWは壱岐(九州)から北海道まで移動した。

 5月はこのように大規模休暇があるため、大規模出費が行われる。このため、例年では5月中の外務視察計画は立案されないのであるが、北海道で教育されたため、アニメ「氷菓」の舞台となる、飛騨高山市の視察を発動した。高山市の市内は城下町的な古都となっており、通常でも楽しめるのだが、アニメ氷菓の舞台訪探も重なり2倍以上楽しめた。特にウィンナーコーヒーや飛騨牛ステーキは記憶に残る。

  • 24−04号 北海道視察計画 4月30ー5月6日 8回目
  • 24−05号 高山視察計画 5月13日
  • 24−06号 東方例大祭視察計画

 6月。なんの話題でその話になったかは記憶にないが、大学時代のメンバーと飛騨高山に行くことになった。それぞれのメンバーとは不定期に旅先で出会っていたことがあったが、この4人で旅行したのは大学卒業以来初であった。(tertes,tkb,ddk50)もっとも交流を続けていたddk50とはFPSの新作が出るたびに、skypeでプレイしており、東京上野に住んでいることもあり、東京での各種イベントの際に宿として提供してもらったことがある。tkbとはddk50のようなskype交流は頻度がほとんど0であったが、1年に1回は旅先で合流することや、合流を目的としたプランを運用していた。tertesについてはもっともこの3人の中で交流が現状しているメンバーであった。彼の住む長野には相当数の訪問を繰り返していたが、就職2年目の2009年とあと1回ぐらいしかこの時点で顔を合わせたことはなかった。比率では、tertes:tkb:ddk50=1:2:7であった。
 このメンバーと再び6月旅行をした。tkb氏はかねてからデジタル一眼レフを活用しており、旅先で撮影をともにしたこともある。6月ddk50が初めてデジタル一眼レフカメラを持って、外へ出てきたのは特筆に値する出来事であった。彼がデジカメを持つことはあまり効果がないとかねてから筆者は主張していたからであるが、メンバー全員で前述したウィンナーコーヒー、飛騨ステーキ、下呂温泉などを満喫し、楽しんだ。(栄光あるTERTESの活動)
 この旅行には田川氏や落武者氏も呼び寄せており、会社同期の3班混色で運用したが、満足度は高かった。
 なお、旅行後のddk50氏の旅行反省会が未明まで続いたことから、翌日年休となった。

  • 24−07号 第2次高山視察計画 6月9日
  • 24−08号 御手洗竹原視察計画 6月23日
  • 24−09号 千葉千枚田視察計画 6月30日


 7月〜9月期
 7月!我々はジョイフルジャッジメントという計画の下、天草エアラインの貸切、ジョイフルの予約席、集団地底探検などというよくわからないが非常に楽しい集団旅行を実施した。なお、その際カメラを落下しており、
EOS 5DmarkII、EF16-35mmF2.8L USM IIを損傷させる惨事を最後の最後で繰り広げた。(併せて修理費6万円)
 7月14日。魔法少女リリカルなのはThe Movie 2nd A'sが劇場公開された。この作品への資源の集中は2012年の大きな柱であった。実に12月22日までに間に、25回の鑑賞を達成し、25回の涙を流した作品である。
この作品を鑑賞するために投入した総力は金銭的にはそれほどではないものの、時間的資源。そしてその時間的資源を創り出すための努力は血のにじむものであったことは明記しておきたい。2nd A'sこそ2012年であった。
 また、昨年初めて鑑賞した伊勢神宮奉納花火大会を、浜坂海上花火大会をそれぞれ2年連続で鑑賞した。花火撮影計画はこの時期しか実施できず、それぞれの花火大会は芸術性に富むことから、2013年においては、3回目の鑑賞を実現したい。なお、伊勢神宮花火の日は2ndA's公開初日であり、スケジュールに苦慮した。
 WF2012Summerの視察に際しては、夏の立山黒部アルペンルートを走破し、素晴らしい写真を撮影できた。その後、アニメ映画「SUMER WARS」に登場する上田わっしょい祭りを視察し、tkb氏と徹夜カラオケの後、WF2012Summerに挑んだ。
 3連休の使い方やWFの参加などジョイフルジャッジメントの発動以外は社会人になってからの7月の使い方に似ている。

 8月には外務を1度も発動していない。夏休み漫画祭りへの参加を当初予定していたが、不幸のため中止している。BLOG記事もほとんど残っていないが、7月から公開された魔法少女リリカルなのは THE MOVIE 2nd A'sへ持てる資源の総力を投入していることは明らかである。
 8月について記載することが相対的にないので、LINEの繁栄について記録しておく。LINEとは、NHN Japan株式会社のコミュニケーション(交流)ソフトである。単なるソフトであれば、それで終わるのだが、昨今のスマートフォン(高機能携帯電話)の普及に伴うこのLINEも普及人口を増やしてきた。何ができるのか。それは、10年後から見れば失笑ものかもしれないが、PC/スマートフォン/ガラパゴス携帯などデバイス(端末)の垣根を越えて、テキスト(文字)や写真・動画を用いたチャット(会話)ができるのである。実は、今までSMSのグループメッセージ機能やLINEに似たようなソフトを使って、エレクトリカル・オーシャン(インターネット)での交流を行っていたのではあるが、それぞれ一長一短の問題点を抱えていた。(なお、LINEが完璧であるわけでもない)そこへ登場したのが、LINEである。
 ユーザ登録(電話番号登録の批判あり)し、利用するのだが非常に快適である。それまでのソフトが抱えていた、最大チャット人数、転送制限などの利用面の制限はすべて解決された。このツールは、UPFGとういう組織では4月より正式使用としメンバーの移行を行った。その後、TERTESメンバーと、会社の同期、会社の職場などグループは拡大し、日々の連絡や外務視察計画実施時に役立っている。このソフトウェアへのデータの平文送信や個人情報(電話番号取得)への批判は理解できるが、それを捨ててまで使わないというトレードオフ(てんびん)にはならなかった。
 結局、人は便利を選ぶ。
 最後に、夏のボーナスでレンズ調達計画を検討していたが、先のカメラ損壊と、EF70-200F2.8L IS II USMも不具合で修理した結果、10万を超える損害額となり、断念した。
 9月。

  • 24−14号 丹後ラリー視察計画 9月2日
  • 24ー15号 諏訪・糸魚川木崎湖視察計画 9月19日
  • 24−16号 小松航空祭視察計画 9月23日

 この月に特筆すべきは、ぷろさんが京都に来てくれたことだろう。丹後で開催されるラリーの視察で共に観光した。その観光の最後の最後で、iPhone4S由良川橋梁付近にて、由良川に水没させる事故を発生し、iPhone4Sから、iPhone5が発売する約2か月間iPhone4を復活運用することになった。ところが、性能的な不便さは全くなく、LINEの移行も一瞬でき、クラウド(雲)ネットワークの素晴らしさを実感した。
 諏訪糸魚川木崎湖計画では、悲願であった某神社の発見に至った。3時間山を歩き続け発見したのだが、ルートをいったん確立してしまえば、15分程度で行けるところであった。それを見つけた時の感動は深かった。
 小松空港航空祭は、大学時代以来の2回目3年ぶりの参加であった。内容はよかったが、金沢特有の雨に悩まされた。それが残念である。

 このように、外務的には順調な発動であったが、この時期から10月の労働は、2012年最大の繁忙であった。泊で仕事をした数はかなりの上った。だが、それらの歪が最大の悲劇を生んだ。別の部署であったが、同期が亡くなった。この事実を知るに至るまで、相当の日数がかかったこと、同じく、同期と判明するまで相当の日数がかかったこと、すべてに怒りを覚えた。この思いは絶対に忘れない。


 10月〜12月期
 10月には多忙であったが、全週の土日を確保し、精神の安定と回復を図るために、外務発動を実施した。(2ndA'sが9月に大阪地区上映終了もダメージが大きい)

  • 24−17号 生駒暗峠視察計画 10月6日
  • 24−18号 豊郷視察計画 10月8日
  • 24−19号 YS11体験飛行参加計画 10月13日
  • 24−20号 立山黒部アルペンルート紅葉鑑賞計画 10月19日

 この中で、生駒暗峠の視察は新規であり、脚部に甚大な負荷をもたらしたが、価値はあった。同じく、YS11号の登場も今や航空自衛隊保有するのみであり、非常に貴重な体験であった。立山黒部は何回目かは記憶にないが、秋の紅葉をこの発動を持っても最高といえるものにはならなかった。(立山黒部の最終目的は、雲海を再び観るであり、難易度は最高度である)

 11月

  • 24−21号 高野山視察計画 11月6日
  • 24−22号 比叡山視察計画 11月7日
  • 24−23号 津山視察計画 11月19日
  • 24−24号 佐渡島視察計画 11月25日

 津山計画のあと、重症の風邪(?)を引き、一週間休んだ。9月10月からの過労かもしれない。高野山比叡山は過去に行ったことがあり、とりわけ回顧する内容はないが、この時期はどちらも非常に寒く、外套装備が必須であることを身をもって体験した。比叡山はddk50氏も同行し、素晴らしい夕日を撮影した。津山計画では、寒空のなか夜の紅葉を視察した(これが原因か)奥津峡の紅葉は素晴らしく、この年最高の紅葉観賞であった。そして、佐渡島計画。これが2012年に発動した最後の外務視察計画になる。佐渡の記憶は、路上駐車が異常に多いことが一番である。また夏に行きたい場所である。
 さて、このような外務視察計画発動中に特に22号計画以後、EOS 5DmarkIIへの不満を明確に持ち始める。当初冬ボーナスは、PC更新(10月にHDD500GBクラッシュを受けて)に投入する計画であったが、最終的にはEOS 1DXを調達している。これについては、まだ正解が見えていないので、2013年の課題としてゆきたい。

 12月
 安倍政権復権。安倍政権復活が、12月もっとも記憶に残る出来事である。安倍政権こそ我が国の未来を担う政権であり、今後も永久に支援する。
 2ndA'sの復活上映があり、総力を投入し、7回中5回を視聴し、総鑑賞数は25回に達した。先日、BD/DVDの発売が2013年3月22日と発表され、現時点の最大の希望である。

 あと、10分で2012年が終わる。
 11月12月と回顧が早足になり、反省すべきところである。1,2,3月には4月からスタートしたプロジェクトの成否がかかる時期であり、本当の戦いは2013年にある。
 
 以上で2012年の回顧としたい。

 2012年12月31日
 大宇宙拡大大帝国建国委員会委員長
 大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝・大帝国大元帥★

 京都宮殿にて

 
 TERTESメンバーの回顧
 (参考文献)

                                                                                                                                                                                                                                                                                          • -

 以下構想用メモ

1月ー3月
・白馬スキー
・和歌山視察
・悲願高千穂、大分高架

4ー6月
・金沢能登
対馬壱岐
・北海道
・高山
・仕事的には新しい仕事をスタート


7−9月
・フェイトちゃん2ndA's
・花火大会
・ぷろさん@京都宮殿
木崎湖バス
・小倉明神
・会社のある出来事と繁忙期到来

10−12月
・生駒暗峠
・津山
佐渡島
・2週間に1回あう人々
・5DmarkII運用廃止
・安倍リターン
・1DX調達

 で。30日に書く。

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