(平成25年度)外務視察計画2号「大垣・松坂視察計画」のうち、松阪宣長まつり

 概要
 大垣にて、スガキヤの特性ラーメンを食べ終えた後、第2の視察を開始する。松阪で行われた本居宣長氏にちなんだ祭り。宣長祭りである。
松阪にも大垣と同じく下車経験は無い。さらに、通過経験も乗り換え経験も無く、有史以来を越えて生誕以来初の訪問地であった。駅から、松阪城址へ移動する際に感じたことは、シャッターの閉まった地方としてであることだ。松阪という(近畿地方の)天気予報でも表記される場所(津だけだったか?)だと思うが、寂れ往く街の一つであった。その点、大垣はアウトレットモールが近くにあり、若い家族が多く見られ、今後の展望も楽観できないだろうが、松阪より状況は良いと思う。
 信長祭りだが、いつも通り事前知識も何があるかも知らずに視察しており、その後宣長が過ごしたという「重要文化財・鈴屋」の2階部屋(宣長の勉強部屋)を、唯一公開する日であり、降雨や暴風という環境的不遇にあっても視察できたことは長期間記憶に残るだろう。若干残念だったのが、本計画は当初さくら2号計画(さくらを撮影する2013年の2番目計画)の側面を持っていたが、すべて葉桜であったことだ。さらに天候も悪く、4月さくらが終焉に近く残念であった。
 15時頃からは天候も回復したように見えたが、風が強く接続を考えていた亀山〜柘植間は暴風で運休。名古屋に単純往復となった。名古屋到着後は松阪付近も運休になり、最終的な判断としては良かったと考えるが、関西本線の旅を少しばかり期待していただけに残念であった。
 
 計画風景


 1年に1度。この日しか見られないという2階部屋










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