映像の世紀 第9集ベトナムの衝撃

 アメリカはベトナム戦争に介入した。それは、アメリカに大きな歪を与えた。経済は圧迫し、主義や価値観の論争が国内で行われた。そして、アメリカはベトナムで敗北をする。

 ケネディが大統領に就任した1960年代はアメリカの最盛期であった。ケネディは理想を掲げた。だが、多くも問題を待ち受けていた。その中の一部はすでに紹介された。それ以外のもの。ベトナムである。ホーチミン率いる南ベトナム解放機構は、ベトナムの解放を行うべく戦闘を開始。その中、米軍の近代兵器に大きな打撃を与える。サイゴンでは暴動が発生。僧侶の弾圧が行われた。この中で僧侶が焼身自殺する映像は強力である。ベトナム編はあとひとつ強力な映像があるので、所見の人は注意が必要である。サイゴンではクーデタが発生。アメリカは弱体な旧政権を見切り、クーデタ政権を後押しした。そうして、2年でベトナムから手を引く予定であった。
 国内では、黒人差別問題が激化した。黒人と白人の差別へ抗議の流れが広がっていった。ガンジーの非暴力主義を学んだキング牧師がその指揮を執った。黒人たちもそれを守り、非暴力で抗議を行った。デモ禁止令が発布され、デモ参加者は逮捕されていった。白人は犬を嗾けたり、放水で反撃した。世界が注目する事態に中で、ケネディ公民権法の立法を宣言。黒人たちの運動も頂点に至った。だがケネディは暗殺されてしまう。
 
 ケネディの後は、副大統領ジョンソンが受け継いだ。公民権法はジョンソン政権の下で成立する。貧困撲滅を目指したジョンソンであったが、ベトナムに翻弄されてゆく。公海上で攻撃を受けたという誤報の元、アメリカ軍はベトナムに報復を行う。そして、連邦議会の監査の失敗、トンキン湾決議を大統領に行う。サイゴンでは、アメリカ領事館が爆破された。さらに、米軍基地も攻撃を受ける。こうして、アメリカは揺さぶりを受けた。反撃として、北爆。北ベトナムの重要施設の爆撃を敢行。3月にはダナンから部隊が上陸を始める。ベトナム戦争はアメリカの戦闘と化した。
 一方国内では、公民権法の成立を経ても黒人の差別が続いていた。指導者マルコムXは、政府を痛烈に批判。黒人の怒りを代弁した。キング牧師もシカゴに移住し、大都市での黒人問題の解決を目指した。だが、投石などにあい、内部から非暴力の無力に反する勢力が発生してきた。さらには、力には力と。自衛組織も結成された。
 黒人の活動に続き、白人の中にも社会を批判するグループが生まれだした。若者は社会への疑問を疑い、活動を開始する。

 ベトナム戦争は混迷を深めた。圧倒的物量を誇る米軍であったが、粘り強いゲリラ戦法でアメリカは苦戦を経験する。サーチアンドデストロイ。見つけては殺すという出あたり次第な戦法が運用された。ドコからともなく攻撃を受け、わなを受けて、米兵は負傷してゆく。ベトコンが強大な敵に対抗する策は、ゲリラ以外になかった。ゲリラは住民と一体化し、住民が敵なのか、敵が住民なのか米軍は混乱した。
 ベトナム戦争はテレビで放送された戦争である。それも、旧来の映像より早く、その日や翌日にベトナムで起こった戦闘を放映できた。そしてそれは、反戦運動と繋がった。国内では学生が徴兵を拒否、戦争に意義を問う事態が発生した。各地で反戦運動が発生する。ベトナム戦闘とともに国内国外でひずみは最大のものとなっていた。次に当選したニクソン大統領は、軍の撤退の時期を考えた。ニクソン大統領は段階的に兵を撤兵させて言った。
 
 だが、戦争は続いた。ニクソンウォーターゲートで辞任。南ベトナムベトナムの勝利で終わる。アメリカの威信をかけた戦争は完全な失敗であった。

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