パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

 視聴理由、そして本計画の立案理由
 本作こそ、前菜を食べ終わった、我々が味わうべき、メインディッシュである。パイレーツオブカリビアンワールドエンド。何という響きだ。これこそ、今次の統合文化振興計画立案の発端である。本作に必要な前提知識は、1及び2の視聴。それだけである。本作に細かい視聴理由は必要ない、本作が公開されたから、見るだけである。もはやそれだけでよい。

 感想
 本作の感想は、映画で描かれる範囲とその後について、重大な意見の違いあり、如何に表現しようかと迷うところなのだが、全体的な感想を記してから、筆者の憤り収まらぬところを述べる方式が良いと思う。

 本体感想
 本作は、3時間という長い映画である。概ね3つのパートで構成され、キャプテンジャックスパロウの救出、評議会への道のり、宣戦布告と見ると分りやすいはずである。
 
 キャプテンジャックスパロウ救出
 舞台地域から見て、早々にアジア特にベトナム近郊であると推察したが、シンガポールであった。シンガポールでは、本作のオープニングパートとして、メンバーに個性的な活躍の場が平等の用意される。復活したキャプテンバルボッサの活躍が、第2作終了後から大いに期待できたことから、ここで、十分な活躍を視聴出来満足である。突然、アジア的なキャプテンサオ・フェンや、東インド貿易会社ベケット提督の新しい部下が登場するが、ここは上手く表現できたと思う。本作がパイレーツオブカリビアンだということを伝えてくるシーンだが、キャプテンジャックスパロウの不在は大きい。
 デイヴィ・ジョーンズの墓場でのキャプテンジャックスパロウの描き方は、形而上的な表現であったが、あの表現が的確であったかは、個人的に疑わしい部分があると思う。ここのキャプテンジャックスパロウの動きは良いが、あの形而上的なスタイルは本作に似合わないと思う。
 ほかに1つ述べると、よくあの船で「世界の果て」に来たなと思う。寒さから北極南極圏だと思うが、「世界の果て」とあって、時間的空間的な設定がどのようになっているか、仕方がないのだが、「移動速度」については、映画的に調整されている。
 
 評議会への道のり
 このあたりから、各キャラクターの内紛が始まる。個人的に離合集散が激しする。いつぞやプレイしたヴァルキリープロファイル2-シルメリア-に似るものを感じ取った。さらに、離合集散を含め、新しくかなりの数のキャプテン(船長)が登場し、果てには「掟マスター(仮名)」まで登場し、ここは確かに必要なのだが、特に「掟マスター(仮名)」以外は偉く適当なキャラクター設定をしてきたなと感じざるを得ない部分であった。
 さらに、女神カリプソなる設定が急浮上するなど、ここのキャラクターがどのような思惑を持って動いているのかを前作を含めて、正しい認識を持っていないと、何故こうなったのか全く分らない人が現れるはずだ。なお、本作を見ないと理解出来ないキャプテンサオ・フェンがエリザベス・スワンを欲しいと言ったのは、エリザベスに女神カリプソが封印されていると勘違いしたからであると補足しておく。
 最後に前作にて大活躍した大将が死亡するが、まあこれに対して思い入れがないためか、この死が呆気なかった、不必要であったという意見にはあまり賛同する気はない。これ以上不幸をばらまく女に近づく邪魔者は不要である。 


 宣戦布告
 宣戦布告後は、待ちに待った決戦である。宣戦布告時にデイヴィ・ジョーンズが、水桶に足を入れて、律儀に参加している点は、笑える部分であるが、まじめな部分である。デイヴィ・ジョーンズについて、補足するが宣戦布告前夜に女神カリプソとの面会時に見える人間の姿は、良い。デイヴィ・ジョーンズの周りを見渡し、目標を見つける仕草も気に入っている。
 戻ろう。女神カリプソの復活から、戦乱が始まるのだが、実際戦闘を繰り広げるのは、限定的な3隻である。ブラックパール号、フライングダッチマン号、ベケット乗船の船(名称忘却)というのは、寂しい。せめて、女神カリプソが怒りに任せて、南インド貿易会社の半数、海賊側の船長いる船の3隻程度はダメージを受けるべきだった。一体何のためにこれらが用意されているのか全く分らない。唐突すぎることと、あれだけ恐れられていた女神カリプソがあの程度であることが残念で仕方ない。
 ブラックパールとフライングダッチマン号の戦闘は、実に重大な論点を含むのだが、これは纏めて扱いたい。全般的によく描けている。映画鑑賞者として、最もうれしかったのが、やっとウィルとエリザベスが結婚できたことである。まさに至上である。その際の自己都合的な結婚式風景は許容範囲内であった。同時に、神父役のキャプテンバルボッサが死亡するのではないかと冷や冷やしていた。そう、キャプテンジャックスパロウが式を主催するのではないかと。
 重大な論点を含むので、もう1つだけこの部位で感想を述べると、ベケット卿の戦死風景は映像美である。美しい。

 本作において、筆者が全く持って容認できない事柄について
 本作の結末は、フライングダッチマン号の主が変わった時点で、結論から述べると「続編」という、ウィルとエリザベスが恒久的に暮らせるようになった方法を描く、第4作に続くものと考えていた。その事実が直感的に分った「永遠の若さの在処フロリダ」は筆者が恐れ居てたウィルとエリザベスの関係を唯一改善する手段として、このような手段を「続編」に用意するシナリオに気づいた時は、まさに満面の笑みを浮かべ、スタッフロールの音楽を鑑賞していた。そして、スタッフロール後に現れるそれを待ちかまえていた。そう、私は50%の予想と50%の予想外に完全に嵌り、このとき本作を特に中盤等に見られる中だるみやキャラクターの乱立をふまえても、100%完璧な映画であり、文句なしと評価していた。
 だが、事実は恐ろしいものであった。スタッフロール後のショートムービーの字幕を見た瞬間、その喜びは一瞬にして消え去ったのである。敢えて、ここでしか書くことが無いので、ネタバレだと言われてもどういわれても書くが、あの終わり方は異常である。ウィルが10年に1度しかエリザベスに会えないのは、おかしい。そんなストーリーで終わらせるんじゃない。何故そんな悲しい結末を用意するのだ。感想であるから、すべて主観であるのだが、これがお互い待つという空想的で甘美なさま(ロマンチック)は、空想だから許せるのだ。確かにこれも映画であり、物語であり、空想なのだが。
 あの二人に真剣に思いを寄せたとき、それは悲しすぎることではないのでしょうか。
 
 衝撃のエンディングについて
 このエンディングは、先のリーピングとは比較にならないほど気分に対する害が甚だしく、この計画発動時に持っていたすべての気力・精力を奪われた抜け殻になった。この表現を公式に使用したくはないのだが、「自閉」に陥る寸前であった。本計画に同行していたddk氏の方が、5月病よろしく、気力・精力が無かったのだが、それを一瞬で超越した。以後次の見解を生み出すまで、この最低精神状態は続く。

 これこそが、真実であるべき
 監督やシナリオライターに、罵詈雑言を浴びせたいが、この結末以外は殆ど許容出来る範囲で、個人的に2,3の設定の弱さを指摘するだけで、本作への感想は絶賛して終わるはずだったこと考え、それは控えなければならない。
 だが、これこそが真実であれるべき3つの事例を記載したい。なお、この事例はあのエンディングが許容出来ない筆者と某匿名巨大掲示板当該スレッドの意見である。


 仮定事例1:あれは、久しぶりに会うシーンだ
 エンディング後の所謂10年後の風景とは、10年後は認めるとしても、エリザベスとウィルが面会出来なかった期間が10年後で、10年間会えず、今日が10年目の会う日だというものではなく、次のように考える。
 ウィルはほかの仲間(キャプテンジャックスパロウなど)と海賊家業を実施しており、2,3ヶ月程度の筆者の許容出来る範囲で、会っている。すなわち、エリザベスは完全に海賊から足を洗い、海賊として活躍するウィルを陸から見守る。あのシーンは、海賊の仕事から帰ってきたウィルと2,3ヶ月の短いスパンで会うというシーンを描いたものである。
 これが真実であれば、続編は個人的に無くても我慢できる。


 仮定事例2:靴紐のビル、ビル・ターナー(ウィルの父親)が、活躍し、ディビィ・ジョーンズの心臓にナイフを突き刺し、殺す。
 2作目で語られたビルの海への思いが満たされる上に、ビルも自由(ディビィ・ジョーンズの呪いは解ける)になる。さらに、その後の展開も容易である。場合によって、次回作で切ることも可能である。但し、これも状況によって本作の結末となる場合があり、注意が必要だが。ともあれ、ビル・ターナーが心臓を破壊すれば、ビル・ターナーの活躍も描け、映画的(物語的そして絵的に)に良かったはずであるのだ。
 ただし、この場合誰を10年に1度会う相手にするかが問題である。


 仮定事例3:キャプテンジャックスパロウが、ディビィ・ジョーンズの心臓を刺す
 この事例は恐らく映画的に面白くないということで没になった可能性が非常に高い。さらに、この場合続編などを期待した場合、キャプテンジャックスパロウの活動範囲が著しく制限されることになる。但し、筆者はこの場合続編を希望せず、幕引きをしてもらって結構である。この場合も10年に1度会う相手を誰にするかが問題であるが、その点は本作でキャプテンジャックスパロウが真剣に検討したときも不透明な結果で終わっている。


 結論
 本作は、スタッフロールを見るまでは、細かい点で問題を感じるものの、傑作であった。だが、スタッフロールが筆者の評価を極限まで低下させてしまった。だが、筆者は仮定事例1であると想像することで、この悲しみに耐えよう。または、あれは何かの幻であって、続編により解決する事例なのであろうか。だが、続編があるかは、興行収入が鍵であり、それもそれで気になることである。*1

 余談
 その日のうちに、2回見た。それは、素晴らしい終わり方であっても、このような終わり方でなくても、あり得たのだが。あれが幻かどうか確かめるためであった。そして、それは幻ではなかった。

*1:儲かるから作る。確かに儲からなければならないが、儲けだけを考えないで欲しい。

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