リーピング

 視聴理由
 今回の統合文化振興計画は、ある作品のために立案されたものであると言って良い。しかし、本作はそのある作品ではない。本作は、ある作品をより味わい深いものとさせるための、前菜である。
 公式サイトに行っても、強度のFLASHで固められ、非常に不愉快な思いをしながら、あらすじを調べたが、分ったことは、ホラー映画であり、三大宗教の1つに非常に係わりがあるということであった。
 
 感想
 端的に、誤解を恐れずに、この映画を1行で表現すると、分る人にしか、分らない表現になるのが少々問題であると考えるのだが、次になる。「劇場版F.E.A.R.(First Encounter Assault Recon)」である。確かにこの表現は正鵠を得てない部分があり、必ずしもこの1行が万人に正しく通用するとは、考えていない。筆者と計画に同行したddk氏の視聴後の率直な意見である。
 本作に建設的な意見を上申したい。そもそも本作は、ホラー映画の範疇に分類されるもので、それ自体で人を選ぶ映画であり、怖いものが怖いひとはまず鑑賞しない映画である。その点は、広く合意できることであろう。そうであればこそ、キャッチコピーに「イナゴ少女あらわる」などというギャクとしか思えないものではなく、より良いものがあったのではないかと思う。イナゴ少女が現れないのかと言えば、現れるのであるが、終盤の終盤であり、それほど見入るシーンでもない。*1
 冒頭に述べた、劇場版F.E.A.R.だが、本作はF.E.A.R.のように、ある少女が鍵を握り、F.E.A.R.のように、不快な音と共に、「現象」が起こることを予言する親切なシステムを採用している。特に、雷石*2の風鈴の音は、生理的にこれはと思う音である。まさに、F.E.A.R.である。
 F.E.A.R.でも述べたが、あのような状況に銃があっても、無くても突入するのは不可能である。死より恐ろしい体験が待ち受ける可能性が大であり、触らぬ神に祟りなしである。赤い川、カエルはいいが、食事が食べられてしまったり*3、やはり、血液だったかと分った時点で退散する。そして、それから逃れないのであれば、筆者が本作で話題となる宗教信者であっても、自殺するだろう。それが正しい選択である。
 最後に、忘れていたが、再び災いが起こることが予想できるエンドとなっているが、不快である。実に不快である。2人で幸せに暮らす未来を何故私に見せてくれないのであろうか。一体いつまで不幸の連鎖を繰り返すのだ、これは、理想は何時までも現実により実現出来ないという比喩なのだろうか。失望大きい場所である。
 劇場版F.E.A.R.と表現したが、銃の活躍は少ない、その点を期待して、全くのF.E.A.R.が見られると期待してもらうと、筆者としてはそれは、自己責任であると最後に指摘したい。

*1:ddk氏は、このシーンは良かったと評価する。

*2:正確ではないと思う

*3:正確な表現であると思うのだが、具体的に何に食べられるのかは、自分で調べると良い

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