バベル

 視聴理由
 リーピングと似る理由である。前提知識も殆ど無いまま見た。

 感想
 オムニバス映画で、ここの事例が過去から未来ではなく、並行的に描く映画であった。この映画監督が言おうとするところは、不明だが、筆者は「バベル」後に起こった文化の差異を世界に認識し、この現実がこの現実で良いのかを訴えることが目的だったと考える。
 過去から指摘していきたい。モロッコの家族は、弟が悪い。そして、兄が一番かわいそうである。警官隊が射撃する場があったが、打ち返されてから、車に隠れて射撃を始めた。いくら何でも警官隊が直立不動で射撃を始めるのは問題だろう。余裕を見せすぎである。
 モロッコで射撃を受けた夫婦の視点であるが、この夫婦がこのオムニバス形式の映画で最も幸福であると感じた。何故か、結果的に助かり、恐らく夫婦の絆は回復し、もう一度やり直す機会を得たからである。夫のバスを踏み留める行為は理解できるが、乗客の判断も理解できる。特にバスの乗客の安全に問題があるのなら、それの出発を我慢して送るべきだった。それが出来る人間は少ないと思うが。
 メキシコパート。これも不運であるが、最終的にこれが最悪だとは思っていない。確かにあのあほの甥は非難されるべきで、死亡したと想像する。伯母さんも可哀想で、モロッコと同レベルだろという意見があるかもしれないが、伯母さんについては、結婚式場で新しい出会いをしており、個人的にはアメリカで一人(一人ではないが)暮らすより、息子や10年前に妻を亡くした男と暮らす方がよほど良いはずだ。
 日本パート。これについては、最終的にどうなったか。どうにもなっていない。はじめと変わっていない。結局自分を確認しただけだったという作品である。そもそも本作が何故PG-12だと疑問に思っていたが、日本パートがすべての原因であることを理解した。もう少し理解できる範囲の表現はないのか。日本の作品については、際だってB級映画色(ddk氏はZ級と表現した。)が強い。伝えたかったことは、物質的豊かさに対する批判だと思う。赤城リツコを彷彿させた。
 全体を通して纏めたいが、銃声に対して、かなり力が入っており、銃器に対する恐怖は増大した。また、現実世界の現状に対する批判も理解したつもりである。なお、作品のつながりは、第一にモロッコでの夫婦パートのバス、第二に日本パートでお父さんが銃を趣味としているところでなるほどと思った。

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