NHKスペシャル 万年時計の謎に挑む 江戸時代の天才 VS 現代の技術者を観て

 本放送は、4月23日21時15分にあった。はずであった。実はこれは録画予約をしておいて、見逃した番組である。余の録画システムはある事項について対応仕切れていない。それは、野球中継による放送延長である。完璧である録画システムの盲点を着かれ、楽しみにしていた番組を見ようと思ったら、15分野球。観ようとおもった気力がまったく無くなくなった。再放送に録画のチャンスを移行した。
 しかし、その日日本鉄道事故史上最悪といえる事故、尼崎脱線事故が発生する。さて、今回も延長の様相を見せてきた。しかし、これは録画予約を延長という事実を知ってから行ったので、完璧に録画できていた。さらには、念を入れて前後30分を多めに録画しておいた。そして、やっと余はこの番組を見ることが本日叶った。
 正直面倒になり、録画をやめようかと思ったが、それはまったくの愚考であった。もしそれを行っていたら余は大変な後悔に襲われるであろう。そう、このNHKスペシャルは正直言ってカラーでみる昭和や映像の世紀、世紀を超えて、シルクロードに匹敵する感動ものであったのである。

 内容はシリーズものでもなく、単発の特集である。江戸時代に作られた時計。通称万年時計(別称:萬歳自鳴鐘)それを復元する技術者と江戸時代の一人の発明家との戦いの物語である。万年時計が復元される理由は愛・地球博での展示を行うからである。現在、グローバルハウス、オレンジゾーンでそれは展示され、時を刻んでいる。国家プロジェクトして現代の優れた技術者100名が江戸時代の一人の発明家、田中久重に挑む。
 万年時計は、江戸時代に作られそのオリジナルは国立科学博物館が所有し、今は稼動していない。優れた技術と芸術性で広く高い評価を得ている。日本の技術の原点の万年時計。それを分析し、技術者の思想を理解し、それを復元することで、技術者とは何かを理解する為にこの解体復元プロジェクトは行われた。

 万年時計は、優れた機能を保有する。和時計、24節季表示、和時計連動曜日表示、干支表示、月齢表示、洋時計、京都視点の天球表示。それらを発明家田中久重は江戸時代に現代の精巧な工具が存在しない時代に作り上げる。歯車はヤスリで成型され、最も大きい歯車で700の溝がヤスリで削られている。また、非常に独創的な歯車が存在する。現代の技術者は、それを虫歯車と名づける。現代の技術者は皆そのような歯車を見たことなど無かった。現代の技術者100人は、その天才発明家の優れた技術力を目のあたりにする。
 模型製作などで現代の技術者はその構造解析を行い、コンピュータで精度を測定する。それは、非常に精巧な出来であった。コンピュータの計算とほとんどど同一の値となった。万年時計が他の江戸時代の時計と異なるのはこれだけではない。和時計の原理を知っている人はあまり解説をしなくて良いと思うが、日本の古来の時間は、日の出、日の入りが基準となっている。その為、時期によってその単位が異なってくる。即ち、昼が長くなった分、時計盤を変えなければ成らないのである。しかし、万年時計はそれを自動的に解決するメカニズムを搭載する。それは芸術的な機構であり、素晴らしく独創的で美しい構造である。

 田中久重は、東京芝浦電気。現在の東芝の創設者である。1875年に田中久重の会社、田中製作所が改名して出来た。本編では創設者としか語られていないが、発明家、技術者としての側面は万年時計の復元工程と共に語られてゆく。田中久重は、弓引き童子という有名なからくり人形を作った人間でもあるのだ。そして、田中久重の名言に余は大変感動した。実に涙を流すところであった。

 名言を後世の為やこの素晴らしい番組を見逃した実に惜しい人々の為に掲載し、田中久重の意思を伝播させることに役立てたい。コラム内で適時掲載する。

田中久重名言1
余は、今有用なる機械を製造して、世の公益を広めんことを願う他に一点の利欲なし。

この言葉は、東芝の前進、田中製作所を作ったときに語った言葉という。

 現代の技術者は、万年時計の復元に苦労する。江戸時代の歯車より比べ物にならないほ精度を上げた現代の歯車。それを田中久重考えた構造に合わせて作るとうまくいかない。技術者本人の手さばきによって、それは解決する。現代技術は精度では勝った。だが、これは完全な勝利とはいえない。
 また、万年時計の特徴である巨大なぜんまい動力機構。他にないぜんまいの長さと強度を誇る田中久重のぜんまい。田中久重は刀かじにその製造を頼んだそうだ。現代は、手製機械を製作して、それを再現した。だが、原料の真ちゅうが万博開会に間に合わず、広く利用されているステンレスで製造することになった。この時点で、完全な複製復元は失敗に終わってしまう。だが、それらの苦難を超えて、現代の技術者は田中久重の時計を一つ一つ復元してゆく。

 田中久重は、西洋の技術革新を知り、時計の製作を行った。万年時計の完成2年後にペリーが来航する。幕府は、田中久重の能力を買い、研究を行う。そして、小型蒸気機関車、蒸気船を開発する。これらにより、日本は急速は技術革新を行っていく。田中久重は、その後東京に製作所を開く。電信機や工作機械の製造を行った会社である。田中久重、この時76歳であった。その工場の看板には、最も感動した名言が記載されている。

田中久重名言2
万般の機械、考案の依頼に応ず。

この名言には今年一番の感動と言っていいものがあった。新シルクロードトルファンの釈迦が涅槃に入るときの言葉。『全ては、うつろう』並に感動した。実に涙があふれるばかりの言葉である。どんな機械でもつくります。という意味のこの言葉は、日本のものづくりの礎を作ったとまさにいえるのである。

 万年時計復元計画。遂に終盤に至る。京都の職人に委託していた外装を付け、ぜんまいを巻いて、万年時計は154年ぶりに時を刻むのである。

最後に。
 実に感動したNHKスペシャルであった。これをみていない諸君らは非常に惜しいことをしたと思ったほうがよい。感動の繰り返しである。この文章を執筆しながらも、感動で目が潤むのである。全体を通して流れるBGMも完成度が極めて高く、感動をさらに引き上げる内容である。NHKには、このスペシャルを放映してくれたことを感謝したい。
 稀に見る優れた内容であった。

田中久重名言3
知識は失敗より学ぶ。
事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、
その後に、成就があるのである。

余は、日本のものづくりの原点を見た。


万年時計資料URL:
http://www.toshiba.co.jp/spirit/html/clock01.html
http://www.suelab.nuem.nagoya-u.ac.jp/~suematsu/mannen/mannen.html


コラム:NHKスペシャル 万年時計の謎に挑む 江戸時代の天才 VS 現代の技術者を観て
著者:大宇宙拡大大帝国絶対永久皇帝大帝国大元帥★
2005.4.26 THE IMPERIA BLACKEye 2005

copy right 大宇宙拡大大帝国建国委員会 2004-2018.