映像の世紀 第5集世界は地獄を見た

 一番気に入っている集である。この集ほかの集は見なくてもは幾度となく見てきた。一番完成度が高いと感じている。第5集は今世紀最大の悲劇、第二次世界大戦を描く。
 ドイツ軍はポーランドへ進撃、電撃作戦が行われた。騎兵部隊であったポーランドは一週間で撃滅された。首都ワルシャワも無差別攻撃を受け壊滅。武器を持たない市民が標的とされた。ロンドンでは、毒ガスが散布されるというデマが流れ、市民を恐怖に陥れた。市民が市民生活をガスマスクをして行う風景は、回顧されるように異様な風景である。オランダは空挺部隊による強襲により5日で降伏。続いてベルギーへ空襲を行った。フランスは、マジノ要塞でドイツ軍撃滅を図ることにした。難攻不落と呼ばれたマジノ要塞であったが、盲点を突いた奇襲攻撃を受け、無力化される。フランス軍は壊滅する。そして、10日後ドーバー海峡に至る。一ヶ月あまりの戦闘を経て、フランスは降伏。ヒトラーはパリ入場を果たした。
 ナチス支配下となった国ではユダヤ人の迫害がドイツ国内と同じく行われつつあった。ゲットーに収容されたユダヤ人の姿などは凄惨を極める。食料の配給も必要な量を割る量で、毎日100名の餓死者が出た。そして、強制収容所へ移動されていった。

 1940年、ドイツと欧州で戦争を継続できたのはイギリスのみであった。ビックベンの地下にチャーチル率いる戦時内閣が徹底交戦と唱えた。8月は空襲が始まる。市民は地下鉄駅に逃げた。構内も凄惨と言える状態であった。もはや人でない扱いである。ヒトラーは空襲によって戦意喪失を目指した。だが、市民は粘り強く抵抗した。イギリスはそれに耐え、防空体制を確立した。新兵器レーダーの登場である。これにより、ドイツ空軍は的確に迎撃され、ドイツ空軍は空爆を続行できないほどの被害を受けた。こうして戦線は膠着した。
 この事態を打破すべく、ソ連侵攻を行った。ソ連侵攻を甘く見ていた。だが、ソ連は臨界点を待っていた。ドイツ軍が首都もモスクアに達したとき起こった。寒波が襲来した。それによりドイツ軍は主導権を失った。それを見て一気に反撃。ドイツ軍はナポレオンと同じ末路を見る。ドイツ軍は初めて敗北した。

 ドイツ軍が敗北した時期、日本は真珠湾に奇襲攻撃を仕掛け、戦艦などに壊滅的な被害を与える。反戦の世論は一気に反転。直ちに参戦すべきという世論に変わる。アメリカ在住の日本人は収容所に移され、住居の自由を剥奪された。ただし、虐殺などは起こっていない。11万人が収容された。日本は奇襲攻撃後、列強各国が保有する植民地を占領。マニラでは7万人が捕虜となった。このとき、バターン死の行進が行われた。このとき大東亜共栄圏の建設のため日本語教育が行われたのだが、中々うまい。日系人であると思われる。しかし、ここまで日本国旗に敬意を払う状態は素晴らしい。現代の日本国旗や君が代への嫌悪はここら辺から来ているのだろう。東南アジアの占領を進めつつ、日本はさらに中国への無差別攻撃を開始した。
 1942年、ついにユダヤ人虐殺が始まる。ユダヤ人は動物の如く扱われ、狩の獲物と化した。そして、それを示すようにユダヤ人の収容所への移動は家畜用の貨車で運ばれた。そして行き着く先、強制収容所では家畜以下の扱いを受け、惨殺された。あらかじめ掘った溝に入れて、殺して埋める。作業的な殺害方法である。

 冬をあけ、ドイツ軍はソ連に再度攻勢を掛ける。共産主義の絶滅を図るべく、家は燃やされて、ソ連の人々も虐殺された。そして、スターリングラードに至る。ヒトラースターリンの名前がついたこの都市の攻略を命題とした。ここでは、第二次大戦最大の市街戦が行われた。回想で街の原型ととどめず、瓦礫の山に化したと伝える。ソ連では虐殺に対して怒りを燃やす義勇兵が生まれ、徹底抗戦が始まる。義勇兵パルチザンと呼ばれ、テロやゲリラ作戦を駆使して、ドイツを追っていく。さらに冬が再び到来し、補給の尽きたドイツ軍は降伏する。ドイツ軍最大の敗北となった。ここでも多くの捕虜が発生した。10万人のうち帰国したのは6千人であった。これも捕虜虐殺といえるが、戦勝国となった場合は、そういう主張を除くことができるのであろう。
 一方日本はミッドウェー海戦で海軍兵力を喪失、ガダルカナル島で陸軍敗北と転機に至っていた。日本は敗北を隠し、学徒動員を行った。サイパン島では追い詰められた日本人が身投げを行った。
 
 1943年、アメリカが第二次世界大戦欧州戦線に参加。まずイタリアを降伏させた。イタリアはその後ドイツに戦線を布告する。イタリアと言うのは調子がいい国に見えるが、政府が変わればこうなる。
 そして、欧州でも戦線の流れを変える作戦が敢行された。ノルマンディー上陸作戦である。いわゆる史上最大の作戦である。ドイツ軍はノルマンディーを軽視していた。さらに圧倒的な物量でドイツの敗北は決定的となった。ドイツはV1ミサイルやV2ミサイルで都市集中攻撃を実施。ロンドンは再び空襲に恐れた。これに反抗して、連合軍も無差別爆撃を敢行。ドイツ軍が投下した爆弾の量を遥かに上回る爆薬をドイツに投下した。ハンブルク焼夷弾で燃え、一夜で5万人が死亡した。連合軍がパリに近づくとパリ市民が蜂起。ドイツの4年間の支配は終えた。市民はドイツ兵士に対して怒りの虐待を加えた。また、ドイツ兵と交際があった女性も私的制裁を受け、髪を切られた。

 パリ解放2ヵ月後、日本は神風特攻隊が組織され、自殺による攻撃が行われるようになった。アメリカ軍の圧倒的な対空砲火などでほとんど効果が上がらなかった。その中の回想。特攻隊は一機械である…というものは、泣ける回想である。命を張って日本国を防御していただいた苦労を感じると、思いに耐えない。先人が守った日本を守る義務が現代に世代にはある。
 ソ連は、ベルリンに突入。市街戦と成った。この突入がドイツを分割統治させる原因となった。ソ連はベルリンを制圧。ヒトラーは自殺。こうして恐怖の体制は終焉した。
 日本は、サイパンから飛び立ったB-29の爆撃を受ける時期となった。帝都東京は燃え、沖縄では地上戦が行われた。

 欧州戦線では、虐殺の実態が判明しだす。飢え死、焼死体、ガス様々な方法で殺された遺体が見つかる。ここでの回顧。ここでこんなことが起こったのなら…の回顧は実に考え深い。収容所の遺体を埋葬する作業など、現実に見ると当に地獄であっただろう。
 続いて、日本も地獄を見ることになった。原子爆弾投下である。一瞬で広島、長崎の2都市は地獄と化した。人類は人類を絶滅さえることが可能な兵器を保有することになった。
 第二次大戦の被害は6500万人。そのうち市民は4000万といわれている。

 まさに、これは地獄を見たと言える。

copy right 大宇宙拡大大帝国建国委員会 2004-2018.