NHKスペシャル 映像記録 昭和の戦争と平和(後編)〜カラーフィルムでよみがえる時代の表情
前編は文化と歴史と書いたが、前編後半部は第二次大戦の映像であった。さて、後編は、戦争中盤から終戦までである。この中で実に感動的な名言がある。昭和天皇のお言葉と特攻兵の遺言である。この点は絶対に抑えなければ習い。そして、伝承して行かなければならない。そして、涙なしで聞けない感動的で哀しい言葉である。
「空の特攻隊のパイロットは、一機械に過ぎぬと一友人が言ったことは確かです。操縦桿を取る機械。人格も泣く、感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって進む磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性を持って考えたなら、実に考えられぬことで、強いて考えれば、彼等が言う如く自殺者とでも言いましょうか。精神の国日本に於いてのみ見れることだと思います。一機械である吾人は何も言う権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめん事を国民の方々にお願いするだけです。」
本番組紹介、上原良司さんの手記より
「もとこ、もとこは、わたしの顔を見てよく笑いましたよ。わたしの腕の中で眠りもしたし、またお風呂にはったこともありました。もとこが大きくなって、私のことが知りたいときは、お前のお母さんに私のことをよく聴きなさい。父は常にもとこの身辺を守っております。やさしくて人にかわいがられる人になってください。追伸、もとこが生まれたときおもちゃにしていた人形はお父さんが頂いて、自分の飛行機にお守りにしております。お父さんといっしょにいたわけです。」
本番組紹介、植村眞久さんが娘に送った手紙より
以上が、余が感動し、重要だと感じた言葉である。。後一つは、最後に出てくるのでそこに記載する。
後編前半は、特攻隊と沖縄戦の映像である。本土で唯一地上戦を経験し、4人に1人が死んだという。凄惨な沖縄戦の記録である。洞窟への手榴弾、火炎放射。洞窟は血と膿だらけになったと語る。兵士と民間人の区別はなく、共に戦場を逃げた。ここは日本かと思える映像である。そして、このあたりから、米軍及び米国にほとんどの人が憎悪を抱きだす。これだけの映像を見れは仕方が無い。日本国で起こった事件であることがなおさら、そうさせる。7月4日沖縄は陥落した。
陥落後、本土への機銃掃射が始まった。これは明らかに非武装の民間人を攻撃するもので、現代であるなら、国際非難の対象となる。否、この時代でも非難されるべきものであるのだ。特に学校や田んぼへの攻撃は意図が理解できない。効果も疑わしい。鉄道に乗っていて攻撃受けた学生の回想は生々しい。
昭和20年、1945年。7月ポツダム会談。そして、8月広島(6日)長崎(9日)原爆投下。ここは戦争への憎悪の最大点になる。灰や炭化した、溶けた死体を回想する。まったく想像できない世界である。この犠牲、確かに対ソ連を考えると早期に戦争を終わらすべくために必要だったかもしれないが、人命に変わるものは無い。難しい問題である。日本がソ連に占領されたなら、日本は戦争より悲惨な状態になっていたかもしれない。
8月15日、昭和天皇の玉音放送。終戦を迎えた。この後の日本人の行動は実に勇ましいものであった。日本人は、ここで反抗したら、不利になると感じたのかもしれない。抵抗せず武装解除に応じる日本兵。厚木から東京までマッカーサーを護衛する日本兵。泣ける。
この後天皇巡幸が行われ、日本は復興への道を歩んでゆく。最後の重要な言葉。昭和天皇が原爆投下を受けた広島を訪問し、査察してのお言葉。
「家が建ったね。」
激動の昭和。平成も同じく激動である。これからが安楽であることを願う。